今年1月末、青森県八戸市で行われた特別国民体育大会冬季大会(国体)では、多くの大学4年生のスケーターたちが競技生活最後の演技を披露した。明治大学4年の山隈太一朗もその1人だった。
7歳のときにスケートを始め、ジュニア時代はジュニアグランプリシリーズにも出場、中学、高校の全国大会での優勝経験も持つ。高校3年生でシニアへ転向して以降は、毎シーズン全日本選手権へ勝ち上がり、大学のスケート部ではフィギュア部門の主将も務めた。179㎝の体格のよさを生かしたスケールの大きなジャンプや、つねに観客へ意識を向けたオープンマインドな表現は、会場を一体にするパワーを持っている。
1月30日、フラット八戸での成年男子フリーがラストダンスの舞台となった。国体は、各県2人1組で戦う団体戦という性質上、選手たちはリンクサイドに立って他のスケーターの演技を応援することができるのだが、山隈のフリー前は、県の垣根を超えてリンクのショートエンドいっぱいに選手たちが集まっていた。同世代で、幼いころから多くの試合をともに戦った友野一希や山本草太の姿もあった。山隈は、集まった多くの選手たちみんなを抱きしめるように両手を広げ、大きな円陣を組んでから、拍手と声援が飛び交うリンクへ滑り出した。
フリーの曲は、母がいつか滑ってほしいと薦めてめてくれた「Somewhere in Time」。冒頭に、こだわってきた特大のトリプルアクセルを、ダブルトウとのコンビネーションにして成功すると、その後も1つ1つのジャンプを丁寧に、力強く降りていく。山隈の一挙手一投足にリンクサイドの選手たちが大歓声をあげ、観客は熱い視線と拍手を送る。伸びやかで大らかな渾身の演技、選手同士のリスペクトがあふれた空間は、観客の涙を誘うには十分すぎるものだった。演技後は、氷に両膝をついて幸せそうに会場を見渡し、リンクサイドで再び大応援団に迎えられた。
最後の演技を終えた山隈は、その幸せを噛みしめるように「うれしい」とこぼしながら取材エリアへやってきた。競技会では最後となる万感のインタビューをお届けします。