2024年7月27日
八戸国体2023で現役ラストダンス

INTERVIEW 山隈太一朗「思い描いていた100倍以上幸せな空間だった」

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すべてはこの瞬間のためだったと思えた

―― たくさんの仲間に見守られたなかでの演技でした。

山隈 始まる前は泣きそうで……みんながぞろぞろとぼくの後ろから(リンクサイドへ)来てくれて、コールされる前に滑り出してみんなを見たときに、こんなにたくさんの人が見送ってくれる選手になれたんだなということが、すごくうれしかった。このあとまだ試合があるメンバーがほとんどだし、(前日に試合が終わった)少年の部の子もみんな来てくれて、自分が“こう引退したいな”と思っていた100倍以上いい雰囲気のなかで見送ってもらえて、いま考え直しても鳥肌が立つような素晴らしい雰囲気のなかで滑ることができて、細かいことを全部忘れて、自分のやりたいように滑れたし、気持ちよく滑れて本当に幸せでした。

―― 滑っているときの思いは?

山隈 今日を迎えるにあたってすごく調子がよく、全然失敗する気がしていなかったのと、あとはそういう細かいことを忘れちゃうくらいみんなからの熱い気持ちを受け取れたし、それを全身で感じることができた。もうなんだろうな……無我夢中でとにかく自分がやってきたことをやる、みたいな。全然うまく言葉にできないんですけど。演技中もずっとみなさんの温かさと、みんながぼくの最後の4分間を見落とさないように集中して見てくれるのを感じたし、いろんなみんなからの気持ちを感じながら滑ることができました。

―― いま最後の演技を滑り切って、競技人生をふりかえると?

山隈 ほとんど悔しい気持ちしか持っていなかったですし、いままでよかったと思う試合は本当に片手で数えるぐらいしかない。それでも、ダメで落ち込んだときに、コーチや親、ライバル、いろんな人がぼくを支えてくれて、そのなかでどんどんこの競技にのめり込んでいって、最後はこの競技をすごく愛しながら、みんなにすごく感謝しつつ、清々しい気持ちと幸せな気持ちを持てた。いろいろ辛いことはあったけど、でもそれがすべてこの最後の瞬間のためだったんだと思うと、本当にやってよかったと思う。後悔も一切ないし、幸せな競技人生だったなと思います。

―― 今後はアイスショーのスケーターとして活動していきますが、この経験をどう生かしていきたいですか。

山隈 競技の緊張感のなかで滑ることはおそらくもうないですし、恋しくなるだろうなと思う。正直、この先はまったく新しい環境のなかでスケートをするわけなので、何をモチベーションにとか、いろいろ難しいことはあると思うけど、いちばん大変な“競技”を十何年やってきて、こうやって最後の最後の瞬間までやり切ったという経験が自分をすごく強くしてくれると思います。この先いろんな困難にあったときでも、それは助けてくれると思います。

―― 改めて、スケートは自身にとってどんな存在だと感じていますか。

山隈 ぼくの人生そのものですね――って、みんな言うかもしれないんですけど、初めて氷に乗ってからこの競技を中心に生活をしてきたし、この競技がないことは考えられない、想像できない。正直、(なくなることを考えると)怖いというくらい、ぼくの人生そのものがフィギュアスケートだと思っているので、それを続けられるのは幸せです。スケートのおかげで22年間すごくいい人生を送れていると思うので、本当に感謝しかないです。

プロフィール
やまくま・たいちろう 2000年4月14日、大阪生まれ。2007年小学1年生でスケートを始め、ジュニアGPにも出場。2016年全国中学校大会優勝、2019年全国高等学校選手権優勝。2018年から5年連続全日本選手権出場、2022年は13位。卒業後はクルーズ船内のアイスショーでスケーターとして活動する。
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