2025年3月15日
娘がデザインし、母が形にした衣装の数々

衣装展「想いを縫う」川畑和愛さんの母の手作りの衣装が一堂に

spot_img
- AD -

昨年3月に行われた「WASEDA ON ICE 2024」で現役引退を発表した川畑和愛さん。2019年の全日本選手権で3位に入るなど、輝かしい成績を残した彼女の衣装を製作し続けてきたのは、母の尊代さんでした。トップ選手になるとプロのデザイナーに依頼するスケーターが多いなか、和愛さんは衣装を自分でデザインし、尊代さんに縫ってもらう方法を貫きます。そんな母娘の信頼関係の結晶とも言える衣装の数々が並ぶ衣装展「想いを縫う」が2025年3月14日~16日、千葉県流山市で開催されます。

流山で手作りの衣装展を開催

尊代さんの祖父が生まれ育った地である千葉県・流山市。馬橋駅から流鉄流山線に乗り、レトロなローカル線に揺られること約10分で平和台駅にたどり着きます。そこからさらに10分歩いた先にあるのが、「杜のアトリエ 黎明」。衣装展「想いを縫う」の会場です。門を通り、緑豊かな庭を抜けると、温かみのある建物の窓から色鮮やかな衣装の数々がのぞいています。

展示室に1歩入ると、カラフルな色彩に包まれる感覚になると同時に、その数の多さに圧倒されます。トルソーに着せられた優美な衣装、壁に吊るされた小さくかわいらしい衣装……実際に衣装を手にとって触ることのできるコーナーや、染めの試作品なども棚やテーブルにきれいに並んでいます。色とりどり、それぞれ違った輝きを放つコスチュームたちはどのようにして生まれたのでしょうか。

和愛が着たいものがあるなら、私が作ってみよう

—— 衣装展「想いを縫う」は、いつから企画されていたのでしょうか。
尊代 1年前です。クローゼットにずっと飾り続けておくのもなんなので、しまう前に1回出してみようかなって。

—— 和愛さんの衣装はすべてお母さまが作られたんですか。
和愛 1着だけ(母以外の人に)作っていただいたこともあるんですけど、それ以外は小さい頃から作ってもらっています。
尊代 この子はどんな曲で何をしたいのか、よくしゃべるし絵を描くんです。こんなの着たい、あんなの着たいっていうのがあるんですよね。もともと洋裁が好きで、母から洋裁を学んでいたので、洋服とかは縫えたんです。たまたまこの子がフィギュアスケートを始めて、(和愛が)着たいものがあるなら、私が作ってみようかなって。
和愛 イメージがどんどん浮かんでくる方なので、それを形にしてくれました。振付のときに先生からもらった言葉と自分が曲から感じた表現からなんとなく(衣装を)想像したり。スケートを始める前から、絵を描くとか紙に何かを表現するというのはたまにしていました。
尊代 小さい頃は身長がかなり変わるから、その度にじゃあ次は何色がいいかなとか言いながら変わっていくみたいな。それにもともとスーパーに一緒に買い物に行ったときなどに、音楽を聞くと踊っていたりしたんですよ。曲からなにか表現するのが好きなんだよね。

—— 作る度に装飾などの技術が高度になっていますが、習得はどのように?
尊代 その質問で思い出したのは、東日本大震災の後、羽生結弦さんが東神奈川のリンクで練習してらっしゃったことがあったんです。そのときには羽生さんのお母さまもいらっしゃって、羽生さんのお母さまも衣装を作られていたので、石の付け方だとかをお話ししたりして教えていただいたことがあります。

—— 途中からプロのデザイナーさんに依頼する選手も多いなかで、一貫してお母さまの手作りの衣装で滑り続けていた一番の理由はなんでしょうか。
和愛 母や姉が作ってくれた衣装を着ていると、試合の時とかもけっこう力になりますし、それに動いてみてちょっときついなと思ったらすぐ言えます。
尊代 お花の位置とかも気になるとすごく気になっちゃうんだよね。衣装は色にもすごくこだわって、この子が納得するまで染めたりしました。
和愛 上半身の布とスカートの色を合わせるのは苦労したよね。着たときに上の色とスカートの色が同じに見えないってなったときには、違う色の生地を重ねてみたら馴染んだということもありました。
尊代 石の配置とかも和愛が全部描いてくれて、私はその通りに並べたり、リボン刺繍でお花を作ったときにも、和愛がいろんな色のお花の配置を決めて、「これはここ」って待ち針で留めてくれました。

—— スケートで最初に滑った曲は?
和愛 最初は「草競馬」です。それは白と緑のスカートの衣装をネットで購入したのに飾り付けしただけの衣装でした。
尊代 でもあのハンガリア舞曲第1番の衣装は近所にデザインを学んでいたお姉さんがいて、その方が描いた絵を見て作ってみたんです。あとは家族みんなで布でお花作りを始めちゃったりするので、それを組み合わせて衣装を作ったり。
和愛 裁縫の本を見たりして、こういうお花を使ってみたいとかリクエストしていました。そういった時にすぐ言える相手が隣にいてくれる環境がすごく心地よくて、頼ってしまいましたね。
尊代 働いているので、海外試合にはついていけなかったですけど、一生懸命縫ったものを着てがんばってくれると嬉しいですよね。それに本当に衣装づくりは楽しかったんです。和愛は羽毛アレルギーなのでダウンが着られなくて、すごく寒い思いをするんですよ。途中から「お願いだから袖をつけてください」っていうリクエストもありました。
和愛 でも長袖だと動きづらいから、肩の縫い目をずらすとか、(中指にかける)紐をつける位置とかも何回も家で調整してもらっていました。
尊代 ノービス時代の試合の際、首が詰まっている衣装のときは、首の部分が苦しかったらしくて、ホテルで直したりもしました。
和愛 すごく心強かったですね。
尊代 洋裁は趣味だから苦じゃなくて、楽しいからやっていました。だから子どものおかげで私生活の時間も充実していたなあ。
和愛 でも私からすると、私が寝る時間になっても、会社終わりにミシンで衣装を作っていたので、お母さん大丈夫かな、苦労かけてるなと思っていました。だから引退した後に、「衣装作り楽しかった」って言ってくれてちょっと救われました。

—— 衣装を作るうえで振付師の意見はどのように取り入れていましたか。
尊代 ステファン(・ランビエル)さんとデイヴィッド(・ウィルソン)さんはやはりこだわりがありました。「美しき青きドナウ」の衣装はステファンの発想です。
和愛 「全身青にして」って言われて。
尊代 「お花があって、川が流れてるようなイメージの衣装でいいんですか?」と聞いたら、「全身とにかく青でインパクトがあるように」って。
和愛 でもネックレスをつけたいと言ったのは私です。ドレスのデザインを自分で検索したりして、最終的にあの形になったんですけど、ネックレスには結構こだわりました。上野でブルガリの展示会がやっている時期で、そこからインスピレーションを受けて、ネックレスの絵を描いた記憶があります。

―― 和愛さんの衣装は背中のデザインもすごく素敵です。
尊代 「背中の開いている部分の一番下のところからスカートとの切り替えの部分までは5センチにして」と最初に先生から言われていたんだよね。
和愛 背中のデザインは、前の部分のデザインを描くよりも楽しいときもあったくらい。あのガーシュウィンの衣装は、キム・ヨナ選手が同じ曲で滑っていたときのブルーの衣装の背中のデザインが素敵で、私も工夫したいと思ってああいった形になりました。「ドナウ」の衣装も、背中の丸は大きさとかも何回か絵に描いたりして、試行錯誤してこだわっていました。

―― ほかに印象深いプログラムは?
和愛 最後に「WASEDA ON ICE」で滑った「歌の翼」は、母が好きだからと思って選びました。
尊代 曲の編集をしてくださった矢野桂一さんがいろんなパターンの中から、「和愛ちゃんに合うのはこれだ」って教えてくれて。おしゃれに鳥のさえずりだとかも随所に混ぜてくれたりしました。
和愛 デイヴィットさんが振付けてくださった「ヴァイオリン協奏曲 ニ長調」は、最初に聴いたときはすごく難しい曲で、踊りにくい曲なのかなと思ったんですけど、振付けてもらったらすごく自分の滑りにも合っていました。
尊代 みんなの前で披露したのは捻挫しちゃった後だったのですが、振付が完成したときはびっくりしちゃうぐらい、本当にデイヴィットさんの振付とぴったり合っていて、美しい曲ってこういうふうに滑るんだって思いました。

—— お母さまが和愛さんのサポートをするうえで大切にしていたことはなんでしょうか。
尊代 やるのは娘だから、この子が主体的にこうしたい、ああしたいって言うことに対して、言ったんだからやれば? みたいなスタンスでした。この子が言ってくるんですよ、「スケートの夢は私の夢でお母さんの夢じゃないでしょ」って。だから子どもががんばってることを親の目標にしちゃいけないっていうのは、子どもから教わった感じです。
和愛 小さい頃から、自分で目標を組み立てて、持って、それを達成したいという気持ちを持つことが自分のモチベーションでした。
尊代 この子は闘争心がそんなにないタイプなんですよね。
和愛 達成感を得るまでに何回も練習で失敗して、それを工夫して乗り越えて、いろんな壁に当たりながら成長していける場所という意味で、スケートと向き合っていたかなと思います。

―― スケート人生のなかで、いちばん印象的な瞬間は?
尊代 「ドン・キホーテ」はこの子が踊りたくて踊りたくて仕方なかった曲で、ものすごくニコニコしながら踊ってる。ジャンプで転んでも、ステップになった瞬間にもうニコニコで踊ってるのが可愛かったなって思い出します。
和愛 2019年の全日本です。表彰台に乗ったときより、プログラムの最後のポーズが上を向いて終わるんですけど、なんかその時のリンクの天井がすごく記憶に残っていて、やりきったって思えた瞬間でしたね。見てくださっていた方がすごくたくさん拍手してくれた音も一緒に覚えていて、その瞬間が一番記憶に残っています。

―― 和愛さんは、今月早稲田大学を卒業されますが、これからの人生をどのように思い描いていますか。
和愛 私も裁縫は好きなので、自分の思ったことを表現するツールとしても裁縫はやりたいなと思っています。それと、これからの人生は自分の好きなことをもっとしっかり見つけたいなと思っていて。スケートはいろんなタイミングが重なって、巡り合わせがあってがんばってこれた場所だったんですけど、これからの人生でも本当に好きと思えることを見つけていきたいです。就職して社会人になるのですが、たくさんの人に今まで応援してもらってきたので、今度は私がたくさんの人を支えられる仕事ってなんだろうと考えた時に、インフラとか下で支えてる仕事がしたいなと思って、物流の仕事を選びました。
尊代 とにかく健康でいてくれれば。いままでもよくがんばってきたし、新しい道も、こんなに応援してもらったから、今度は誰かを応援する仕事っていうので、スケートをやっていたから選んだ選択なんだなって思います。
和愛 スケートを離れるまで、応援するということがどういうことか、自分が人を応援する時ってどんな気持ちになるのかをあんまりわかっていなくて、離れてから感じるようになりました。応援してくれる方がいたから、新しい道を選べましたね。

―― ありがとうございました。新しい和愛さんの人生も応援しています。

衣装展「想いを縫う」は3月16日(日)まで「杜のアトリエ 黎明」で開催しています。

= INFORMATION =
想いを縫う
2025年3月14~16日9:00~17:00(最終日は16:00終了)/杜のアトリエ 黎明(千葉県流山市)
spot_img
- AD -

 関連バックナンバー

ワールド・フィギュアスケート No.101

坂本花織が3連覇、イリア・マリニンが初優勝を達成し...

関連記事

- AD -
spot_img

最新記事

error: