前向きに競技と向き合い続けたことは誇り
―― フリーはお母さまの選曲とのことですが、このプログラムに対して何か言葉をもらったことはありますか。
山隈 それがとくにあまりなくて、ですね。振付師のサロメ・ブルナーが作ってくれたときに、母から「プログラムは本当に素晴らしい。あとはあなた次第」とプレッシャーはかけられましたけど。(笑)でも、小さいときに、車のなかで母がこの音楽を流して口ずさみながらリンクに送り迎えしてくれているという画をいまだに覚えているので、それだけ母親にとって心の奥にあるいろんな感情がこもっている曲なんだと思うし、それを少しでもぼくがフィギュアスケートを通して伝えられていたらいいなと思う。
さすがに引退したので、これで褒めてもらえるかなと。(笑)でも、ぼくの演技に感動したというのは毎試合言ってくれますし、全日本が終わったあともぼくが練習してきたことがすごくいいかたちでこのプログラムに出ていて、「私は本当にこのプログラム好きだな」と言ってくれていたので、それはうれしかったです。少しでも母親にとっていい演技になったらいいなと思って、このシーズンは滑り切りました。
―― 苦しい時期も競技人生を戦い抜いたご自身に言葉をかけるとしたら、どんな言葉を?
山隈 「よくがんばったな」かな……。やっぱりもうやめたいと思うことはたくさんあったし、本当にいま考えても、よく「もういいや、スケート」ってならずに、どうしたらおれはもっと上にいけるんだろうとか、どうすればもっとよくなるんだろうとか、そういう考えにがんばってシフトして、つねに前向きにやり続けられたと思う。これは本当に簡単にできることじゃないと思うし、それを環境が変わっても、周りが変っても、最後まで貫き通せたことが自分にとっていちばん誇らしいことなので、本当に「よくがんばったね、お疲れさま」って。もう本当にシンプルに、そんな言葉をかけたいです。
(2023年1月30日、国体成年男子フリー後の共同取材より)