2024年12月21日
八戸国体2023で現役ラストダンス

INTERVIEW 山隈太一朗「思い描いていた100倍以上幸せな空間だった」

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苦しいときほど、その姿を後輩に見せてきた

―― 最初のトリプルアクセル+ダブルトウループが決まった瞬間からお客さんの涙腺が……。

山隈 アクセルを決めずにここから去るのはいやだったので。ただ、今日は踏切をちょっと失敗しちゃったので、ヤバいかなと思ったけど、みんなの声援と、こんなに応援してくれているんだから絶対降りなきゃいけないという気合とか、本当にみんなのおかげでなんとか堪えることができました。

―― どのジャンプからも気迫が感じられました。

山隈 ここまでの応援で気合が入らない人はいないと思う。本当に今日はみんなの応援がすごく力になったし――いや、いつも力になるんですけど。(笑)最後堪える部分だったり、あと一歩という部分はすべて、ここで負けたら、この1歩をちょっと疲れたからといってやめたら一生後悔すると思っていたし、この雰囲気のなかだったら自分が持っている力以上のものが出せると思っていたので、本当にみんなの助けがあって、気持ちを演技によりこめることができたと思います。

―― 昨日のSP後の「全員泣かせます」宣言通り、会場からはすすり泣きが聞こえてきました。

山隈 ちょっとそこまではわからなかったんですけど(笑)、こんなに温かい試合があるんだと感じるぐらい、ぼくを見てくれているすべての人がすごくのめり込んで見てくれているのを感じた。全日本も素晴らしい雰囲気だと感じたんですけど、この試合も自分のなかではちょっと信じられない空間になっていたし、この素晴らしい空間で滑れたことが本当に幸せでした。

―― 演技前にみんなで円陣を組んでいましたが、どんな言葉をかけたり、かけられたりしましたか。

山隈 みんなは「がんばれー!」「楽しんでこいよ!」って言ってくれて、もう本当にシンプルに「ありがとう」と。こんなに後にみんなが並んでいることがなかったので、ちょっとこのみんなを無視してはできないし、どうにかしてみんなと1回1つになって演技にいきたいなと感じていたので、(円陣を組んで)それができて、言葉はシンプルですけど、ものすごい力をあそこでもらいました。

―― これだけの仲間が見送ってくれるというのは、それだけ山隈選手に選手として、仲間として魅力があったからだと思いますが、ご自身では仲間や後輩たちにどんな背中を見せてこられたと思いますか。

山隈 最後まで絶対に逃げなかったことかなと思います。ぼくが見せてきた背中は、ほとんど失敗して落ち込んでいる背中で、「おれについてこい!」という背中を見せることはできなかったけど、試合で失敗したあとも、ふてくされて試合に入るとか、機嫌を悪くして会場を去るということは絶対にしてこなかった。どんなに悪いときも絶対に直向きさを忘れない、逃げずにフィギュアスケートと全力で向き合ってもがくということをずっとやり続けてきた。自分のなかで、苦しいときほど後輩に見せるべきだとは感じていて。ほとんど苦しかったので、結果的にはずっとその背中を見せることになってしまったんですけど。(苦笑)絶対に天狗になることはなかったし、フィギュアスケートに対してつねに真摯に向き合い続けられたことが、なんだろう、最後までみんなが応援してくれる1つの要因だったんじゃないかなと思います。

プロフィール
やまくま・たいちろう 2000年4月14日、大阪生まれ。2007年小学1年生でスケートを始め、ジュニアGPにも出場。2016年全国中学校大会優勝、2019年全国高等学校選手権優勝。2018年から5年連続全日本選手権出場、2022年は13位。卒業後はクルーズ船内のアイスショーでスケーターとして活動する。
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