本日9月13日から全国で上映される、映画「ぼくのお日さま」。映画館での公開に先立ち、7月25日に日本大学芸術学部(日芸)江古田キャンパスにて、学生を対象とした上映会&池松壮亮さんと奥山大史監督によるトークショーが行われ、2人が映画学科の学生からの質問に答えました。
現在発売中の「アイスショーの世界10」では、荒川役の池松壮亮さん×奥山大史監督のクロストークと、主演の越山敬達さん×ヒロインの中西希亜良さんのクロストークを、5ページにわたって掲載しています。
池松「心を通わせることに1点勝負」
この日は映画学科の学生が集まり、まずは「ぼくのお日さま」を鑑賞。本作の一般への公開はこの日が初めてとなった。上映会ののち、荒川コーチ役で日芸の卒業生でもある俳優の池松壮亮さんと、メガホンをとった奥山大史監督が登壇。司会者から日芸の印象を聞かれると、奥山監督は「まずこんな場所(試写室)があるのにびっくりしています。待たせていただいたところにも衣装のロッカーとかがあって、すごいところだなあと思いました」、池松さんは「自分の母校ということもありますけど、これから未来に羽ばたいていく、社会に出て行くみなさんに映画を届けられるのは、本当に光栄だなと思っています」と答えた。
司会者からスケートのシーンの撮影について問われると、奥山監督は「スケートはぼく自身、子どものときに滑っていたので、自分も滑りながら3人に並走して撮っていきました。(凍結した)湖のシーンは自然光で撮っていましたけど、スケートリンクはけっこう照明にもこだわって、大きい照明を用意してもらって、光を入れ込んでもらっていました」とこだわりの撮影方法を明かし、さらに「基本的にスケートを滑っているシーンって、ト書きで言うと“だんだん上手くなっていく3人”とか、それぐらいしか書いていなかったりするので、あとは池松さんに演出しながら演技をしてもらうという感じです。ほとんどアドリブでしたね。湖のシーンは3分ぐらいですけど、撮影に2日間かけているので、撮影尺で言うと3時間ぐらいあるものの上澄みを使っています。池松さんのクランクインが湖のシーンだったんですよ。だからまだ3人の関係性がそんなに築き上げられていないときなんです。池松さんがとにかく盛り上げて盛り上げて、いろんなことをしてくださって、それを編集でいいところを使いました」と撮影の裏話も披露。
池松さんも「子どもたち2人は撮影の直前に台詞を伝えられるので、カメラの前で予め決められたことをやるというよりも、新鮮にその物語世界に出会っていくというようなスタイルだったんですね。だからどうしたって自分がコーチ役として2人を導いていかなければいけなかった。とにかく2人の本当にキラキラした輝きをどれぐらい映画に残してくれるか。子どもっていうのはみんなそうですけど、人を反射するものです。自分が構えていたりとか、そういうことがないように、心を通わせることに1点勝負で2人と向き合っていたと思います」と語った。
奥山「なぜ自分が好きだと思ったかを言葉にしていく」
そしていよいよ学生からの質問コーナーがスタート。映画学科で専門的な技術を学ぶ学生たちとあって、奥深く、鋭い気づきが光る質問がいくつも飛び出した。
Q. 荒川コーチの指導の方法にフィギュアスケートならではの「ここにお味噌汁を置いて、」というような表現があったのですが、そういう表現はどのように考えついたのでしょうか。
池松 フィギュアスケートをやられていた方(森望さん)が常に現場にいてくださって、逐一いま何を言えばいいか、こういうことを言いたいときにどうすればいいかというのを全部教えてくれました。
奥山 特にコーチが言う細かい台詞とか。「もう1回跳んできて」と言うときに、これ(人差し指を立てた仕草)しかやらない感じとか、ああいうリアリティは森さんと池松さんの話し合いのなかで組み上がっていったものがほとんどじゃないですかね。
Q. 円形校舎をタクヤの小学校の舞台として選んだ理由や意図はありますか。
奥山 円形校舎は石狩にある小学校なんです。この映画の時代設定としては2001年ぐらいにしようかなと思っていました。少なくとも現代には見えない、でもそんなに昔にも見えないという、ちょっと曖昧さを残した時代設定にしたいなと。時代設定に限らずすべてに余白を作りたい、限定しすぎないようにしたいなと思ってたので。そうなったときに、円形校舎ってちょうど2000年くらいにけっこう数があったらしくて、逆にいまから円形校舎が作られることはほぼないらしいんですね。それは耐震的な観点や避難しづらいとか、いろんな意味があるらしいんですけど。それをこの映画に映したのは、スタッフのなかでは2001年を描こうとしているので、ロケ地としても最適なのかなと思ったのと、あと教室にちょっとパースがつきますよね。後ろの列にいくにつれてちょっとずつ席が増えていく感じは見たことがないので、独特な画も作れるかなと。屋上を見たときにも「ああ、すごくいいな」と、カーブを描いているところに2人が立っていたらいいなと思って、そこでそのシーンを作ろうと思ったぐらいだったのでそこに決めました。
Q. 奥山監督は子どもの頃の経験が作品の元になっているとのことですが、そのうえで大切にしていることを、池松さんには子どもの頃や大学生のときの経験がいまに生きていることをお聞きしたいです。
奥山 けっこうストーリーラインや起きる出来事も実際に子どもの頃に自分が体験したことだったりするんです。なんでそういうことをやるかというと、やっぱり子どもの頃っていまよりももっともっと感情の起伏があった。本当に些細なことですごく落ち込んだり、逆にちっちゃいことですごく喜んで舞い上がったり、あのときのほうがとても時間が長く感じたし、キラキラして見えた。そういったものがカメラのレンズを通せばもう1回呼び起こせる気がしています。そういう映画がやっぱり作りたいと思って、いままではそういうのを作りがちでしたね。今回はフィギュアスケートを習っていたという点以外は、この作品のために作った物語です。アイスダンスやホッケーをやっていたりはしなかったので。そういう実体験ではないストーリーラインにどういうふうに自分が子どもの頃に抱いた感情を取り入れれば、子どもの頃のキラキラした感情を見る人に呼び起こせられるかなというのは、悩みながら脚本を書いて悩みながら撮影をしました。
池松 もう全部生きていると思いますね。(日芸、)いい学校ですもんね。社会に出る前の4年間、ギリギリ残された猶予として、たくさん映画を観たり、ひたすら考えたり、そういう時間を過ごしたことがその後の自分の俳優活動にものすごく生きたといまでも思っています。幼少時代で言うと、今回の主役の2人が11歳、12歳ぐらいだったんですね。ぼくが俳優を始めたのもそれぐらいの歳。自分は初めて映画に参加したときに何を思っていたか、どういうふうに世界を見ていたか、どういうふうに大人を見ていたか、そういうことをたくさん振り返る時間になりましたね。
Q.トンネルを運転するシーンの音楽をに関して、どういうことを考えながら使われたのかということをお聞きしたいです。
奥山 すごいコアな質問ですね。トンネルを運転するシーンって、もともと1シーンとして撮ってるんですよ。トンネルに入っていく、抜けていく、っていう1シーンだったんですけど、今回フランスに住んでいるレバノン人のティナさんという方とキャッチボールをしながら編集をして、ぼくは1シーンを組み上げてプロジェクトを送ったんですけど、そうしたら2つにわけて送り返されて。「え、どういうことだ?」って思ったんですけど、でも確かに脚本を忘れるとフラットに見れた。正確に言うと、帽子をかぶっている、かぶっていないのつながりが若干気になるところはあるんですけど、普通に映画を見ていたら全然気づかないぐらい、うまく編集で2シーンに分けていただいた感じでしたね。とにかくこのゾンビーズの「ゴーイン・アウト・オブ・マイ・ヘッド」っていう曲は、もともと荒川がそういう80年代か90年代ぐらいのロックが好きで、そういう曲を荒川が聴いているっていうシーンを積み重ねたかったんですね。だから2シーンに分けました。でもこの曲に決めてから交渉してもらったら、思ったよりも許諾料が高くって。それで、それっぽい曲をハンバートハンバートの佐藤さんにお願いして、ルー・リードとかゾンビーズ的な曲を作ってもらって。それをカーステレオっぽく加工してかけています。
Q. すごくちっちゃなことなんですけど、教室に「税金」と書かれた習字があったのですが、どういう経緯であそこに貼られたのか気になりました。
奥山 美術を安宅さんという、ぼくがずっとご一緒したかった方にお願いしました。安宅さんは1つのこだわりとして、なるべくそこに置くものには嘘をつきたくないということがあるんです。子どもが書いた習字なら、本当に子どもが書いたものを集めたいんですよね。絵も子どもっぽくスタッフが描くと、1枚上手く描けても、貼り出すと子どもっぽく描いた大人の絵にしか見えなくなる瞬間があるみたいです。小学校から子どもが描いた絵や習字を集めてきたなかに「税金」というのがあって貼ったんだと思うんですけど。撮影前日にカメラテストで入らせてもらったときに、安宅さんが「あれ、目立ちすぎますかね」と言った指の先がまさに「税金」だったんですけど、すごく気に入ったので、「いいと思います。あれはそのままにしましょう」とぼくが言いました。
(※ネタバレを含む内容ですので、ご注意ください)
Q. 監督には撮っていったときにいちばん心が震えたお芝居のシーンはどこだったのか、池松さんには演じていていちばん感動したり心が揺れたシーンはどこだったのかを教えていただきたいです。
奥山 最後のホッケーに戻ったタクヤが(荒川と)向き合ったところは、タクヤ向けからとにかく撮り始めて、窓がいっぱいあるのにもう日が暮れかけで、「1テイクしか撮れません」と言われながら、1テイクずつ撮ったんです。本当に時間がなかったのに、タクヤが完璧なお芝居を見せた。あのシーンは現場でもグッときましたね。
池松 脚本を渡さないということは、(周囲の大人が)どうリードするかがとても難しいことなんですけど、ぼくは2人から出てくる表情とか仕草とか、あまりに無垢な……こうやって日々演じるということをやっている人間には絶対に出てこない、人間本来の持つ輝きみたいなものを、俳優が絶対に目指すべきものを日々あの2人から発見しました。こんな顔するんだ、あんな顔するんだ、ということに、日々見ていて感動してましたね。
Q. お2人が自分の表現というものを見つけていったり、磨いていく方法を教えていただきたいです。
奥山 それはぼくも探し中なのですが、結局は好きな作品を見つけたら、その作品についてなぜ自分が好きだと思ったかということを言葉にしていくことを繰り返すしかないのかなと思ったりしますね。好きな監督とかいますか。
学生 韓国のポン・ジュノ監督が好きです。
奥山 ポン・ジュノさんが好きな映画を調べれば絶対出てくると思うので、そういうのを見たりとか。あとはポン・ジュノさんは絵コンテもすごい描き込むじゃないですか。絵コンテを見てみるとか。好きだなと思う作品や監督に出会ったら、それにまつわるものに一通り触れてみて、そのうえでなぜいいと思ったかというのを言葉にしていくというのを繰り返していくと、意外と自分が好きなものが見えて、目指す方向が見えてくるのかなと思っています。
池松 なんかいい質問ですね。自分のスタイルね。ぼくも常に流動的でありたいと思っていますし、様々なスタイルを獲得していきたいと思っています。昔は自分のスタイルってなんなのかなというのを散々考えましたけど、いま現在地でお話しできるとすれば、いろんなものを見て、どんどん真似して、そして自分の表現に対して素直になること。そうしたら必ず自分のスタイルというのは結果として出てきますから。
Q. 食事のシーンに対してなにか意識してることがあったら教えていただきたいです。
奥山 食事のシーンっていうのはすごく好きでよく撮りますけど、特に子どもが小さいと、その家に住んでいる人たちが全員集まって、いろんな会話が同時多発的に進んだり、1人が立ち上がっているのに会話が続いたり、そういうのが演劇的で好きだなと思ってます。あとはぼくの子どものときの記憶では、たとえばおじいちゃんが座っていた席には絶対にそのあと誰も座らなかったんですね。そこだけ空いているというのがあった。そこに座っちゃうと、本当にいなくなったのがいよいよ明確になっちゃう感じがみんなどこかにある。そういう不在みたいなものを描けるのも食卓ならではだなと思います。