羽生「いろいろなことで悩んでいる方々の近くで滑りたいと思いました」
―― (現地メディアからの質問)今、能登の震災の風化が進んでいて、世間から忘れられているという感覚を我々石川にいる者として持っています。今日羽生さんがこうやって滑ることで「X」のトレンドの1位にもなったし、すごく意味があったと思うんですけど、改めてその思いというのと、もう 1点、羽生さんが回転しながら滑るとき、いつも以上に上半身を地面に近づけて滑っていらっしたように見えたんですけれども。
羽生 まず、その「ハイドロブレーディング」っていう技なんですけど、あれはそもそも、このプログラムはあのぐらいつけるものなので、とくに何かすごく深い意味があるわけではないんですけど、やっぱりこの土地、ここ周辺はすごく大きな被害があった場所ではないですけれども、この地方として、すごくすごく大きな被害があった。もっと大きく言ったら、ここの周辺の地面が大きく揺れたということもあって、何か鎮まってほしいなという気持ちもありました。
能登の震災の風化についても、ぼくら「3.11」のこともそうですけれども、どんどん、どんどん、やっぱり首都圏から離れているからこそ、なかなか報じられることもないですし、進展があればまた1つニュースになったりすると思うんですけれど、なかなか復興が進みにくい場所。また道路に関してもすごく交通制限が普通の場所よりも大きいということもあって、大変なんだろうなということを、ぼく自身、ニュースとか実際に足を運んだ時にも思いました。
なかなか風化に対して、ぼくらが何かを言うことは難しいんですけれども、それでも、先程言っていた、ぼくは震災の支援をしたいと思って、やっぱりオリンピック2連覇したいと思ったんですけれども、この2連覇を使って、いい意味で知名度を使って、今回配信のチケットを買ってくださった方々もそうですし、少しでも本当に。お金もそうですし、注目もそうですし、ちょっとでも力になればいいなと思います。
―― 実際に今年6月に被災地に行かれて中学生と交流された際、どのような声をかけられたのでしょうか?
羽生 初めてニュースとか新聞とか、画面だったり紙面だったりでは、現状みたいなものを何度も見る機会はあったんですけど、実際に生で見た時、こんなにもこのまま残ってしまっているんだっていう生々しさみたいなものはとても衝撃を受けました。ぼくが(復興が)進んでいる進んでないに関して、何か深いコメントを言えるわけではないんですけれども、やっぱりどうしても傷跡ってものはすごく生々しく残っていたなという気持ちはありました。
そして、また地元の方々も、何か時が止まっているというか。ここでこんなことがあったんだよねっていうことを、いまだにそこに行くたびに思い返してしまうというか、ここが壊れてしまったんだなということを思い返してしまうようなことをおっしゃっていたり、ここに行きたくないっていうことをおっしゃっていたりしたのも聞いて、すごく胸に刺さるもの、痛むものがあったなというふうに思いました。
子どもたちに会った時にぼくが言ったのは、「どんなに辛いことがあっても、いずれ時が来れば何かはしなきゃいけない」「どんなにやりたくなくても、どんなに進めなかったとしても、締切が来たら結局は進まなきゃいけない」、そんなことを言いました。もう震災があってから半年以上が過ぎて、何ができるかとか、どんなことが進んでいるかとか、いろんなことを考えると思いますけど、来る時は来るし、来ない時は来ないから、もう「しょうがない」って思うしかないところもありますし。でも、その「しょうがない」の中に、笑顔とかその時の一生懸命がいっぱい詰まってたらいいなって思っています。
―― 配信という形でも、石川県で滑ることを大切にした理由は?
羽生 そもそも配信という形を取った時に選ぼうと思えば、他の地域で滑るということも可能でしたし、なんか本当にいろんなことをしようと思えばできたとは思います。ただ、やはりぼくはなるべくそのつらかった方々、今現在つらいと思っている方々、いろんなことで悩んでいる方々の近くでやっぱり滑りたいと思いましたし、地域の力みたいなものとか、現場の空気みたいなものをぼくらすごく感じながら滑るので、そこの空気の大切さとか、ちょっとでもこの場所から、なにか波動として、ちょっとでも何か空気が動いて皆さんの元に届けって思いながら、配信でも滑らせてもらいました。■