「被災をして、いろんな傷を抱えて生きてきたからこそ、重ねてきた15年間を表現できる」
―― 「幾重」というタイトルについて、単語そのものとして、どんなイメージが羽生さんのなかにある言葉ですか?
羽生 タイトルからというよりは、ぼくは北川さんと摩利彦さんが作曲をした結果として、本当に何層にも重ねられた楽器たちと、声とが幾重にも重なっているところが、いろんな方々の人生を重ねているのと、いろんな方々の人生を表現しているんだなっていうのをすごく感じていて。で、ぼくのなかでの「幾重」の解釈なんですけど、15年という月日が幾重にも重なっている、1人の人生のなかで15年という月日が幾重にも重なって、地層みたくなっているっていうことと、15年経って、いろんな方々の15年が地層として重なっているっていうような2つの意味が自分のなかではあるなと思いながら解釈をしていて。ぼくは、その両方を表現できる人間だなって思ってるんですよ。というのも、やっぱり自分自身が仙台という地で被災をして、いろんな傷を抱えて生きてきたからこそ、重ねてきた15年間を表現できるとも思ったし、こうやってオリンピック2連覇して、いろんな方々にお話を聞かせていただく機会、実際にお会いする機会をいただけたからこそできる、いろんな方々の15年の「幾重」というものも知っているので、どちらもすごく大切にしながら表現したいなというのは、振付していくときも、今日実際滑るときも思ってました。
―― 羽生さん自身も16歳のときから今に至るまで、傷がある、辛かったことがあるということも含めての自分の人生だ、それを抱きしめて生きていくんだということは、ずっと考えておっしゃってきたことだと思うんですけれども、この楽曲にも伝承という意味があって、すごくそういう要素が反映されています。アーティスト同士が同じ地点に来る、全然違う軌道をたどってきて、ゆずさんは被災地にいた方ではないなかで、なぜか重なったみたいな瞬間なのかなと思うんですけれども、そういうアーティスト同士の響き合いを不思議だと思うようなことはありましたか。
羽生 例えばの話なんですけど、哲学者と、数学をやってる人間がわりと同じ人間だったりするように、いろんなことを考えていくと、実は同じ結果にみんなたどり着くよっていうことが、この世の中にはいっぱいあるんだなと最近思ってるんですよね。文学的なことを考えていっても、最終的には数学の答えのようなところにたどり着いたりとか、宇宙の真理みたいなところに行ってしまったりとかもするし、それと同じで、震災のことに向き合う、寄り添うということを考えたときには、やっぱり、同じところにたどり着くんじゃないかなって思ってるんですよね。もちろんその表現の仕方とか……ぼくにとってはやっぱりフィギュアスケートが第一言語だと思っているので、やっぱりフィギュアスケートで表現する、表現の仕方という技法があるんですけど、きっとゆずさんや北川さんだったら、作詞であったりとか、作曲であったりとか、実際に楽曲を演奏するとか、弾き語りで届けるとか、そういった表現技法で寄り添うということを表現してくださっていると思ってて。だから、結局のところ、違う形にはなってるけど、心の奥底で思っていることが一緒で、同じことを思っていて、同じように大切に思っているのであれば、響き合うのは当然なのかなっていう感じはしています。
―― ありがとうございます。
羽生 すごい回りくどい説明になってしまってごめんなさい。
「震災を知らない世代にちゃんと残ってほしいことは、ぼくらが学んだことだけ」
―― 「あれがなかったらよかったと思っている」というお話もありましたが、15年経って、震災について新しく思うことだったりとか、また少し気持ちが変わったりとか、そういうことはありましたか。
羽生 付き合い方が上手くなったなとは思います。15年という、人間が節目に感じやすい5の倍数の年月で、コロッと変わるかと言われたら、そんなことはなくて、毎日の積み重ねのなかで、ちょっとずつ変化していくことだと思いますし、本当に行ったり来たりする時もあるとは思うんですけど。でもその自分の傷の向き合い方、そして被災された方々の辛い記憶であったりとか、辛い痛みであったりとか、それに寄り添うということの距離感とか、見つめ合い方みたいなものが、少しずつ上手になってきたなっていう感じはしますね。ただただえぐるだけじゃなくて、ただただ悲しむだけじゃなくて、ただ寄り添おうって頑張るだけじゃなくて、そこに対して、ちゃんと手を差し伸べられるようにちょっとずつなってきたなと思います。傷ついた方々に対して、手を差し伸べたい、祈りたいということもあるんですけど、自分自身がすごく取り残してきた過去の自分、すごく蓋をしてきた自分みたいなものもあるので、そういったものに対しても、「大丈夫だよ」って言ってあげられるように変化してきたかなとは思ってます。それは本当にこの「幾重」という楽曲にそういうふうにしていただけたっていうのもあるし。実際にこうやって、自分自身がこの楽曲と演技を見た時に、ちょっとでも前に向こう、ちょっとでも傷を抱きしめながら未来に向かってということを思っていただけるためには、説得力をもって伝えるためには、自分自身がそうならなきゃいけないなと思ったということもあって、なんか、すごくいいきっかけをいただいたなと思っています。
―― 震災がなかった場合を想像したことはありますか。
羽生 うーんと……ないですかね。もう起きてしまったことなので。正直、当時のことを思い返すと、起きた時は現実味がなかったんですよ。ただ、現実味が全然なかったけれども、なんとかそこで生きなきゃいけなかったんですよね。だからみんな必死で、生活どうしようかとか、その場その場で……もちろんぼくらは避難所にお世話になっていた側だったので、避難所の方々にお世話になりっぱなしではあったんですけど、でも実際にこれからどういうふうに生活が戻っていくのか、家がどうなってしまうのか、これから日本がどうなっちゃうのかぐらいまで、すごく悩みながらも、でもこの現実を生きなきゃいけないという、その場の行き当たりばったりでずっと生きていくことをしてたんですよね。だからそれと同じで、あれが起きてしまって、3.11がなかったらこの世界どうなってたかなというのは、あまり考えることができなくて。本当に行き当たりばったりのこの人生のなかで、いまというものが存在してるんだろうなとは思ってます。
―― 15年という年月が経って、過去の意味合いみたいなものを変えることはできましたか。
羽生 どうですかね、変わったり変わらなかったり、です。正直、いろんな方々の記憶とか記録とかに触れたり、いろんなニュースを見たり、実際にお会いしたりするときに、自分のことじゃないのにすっごく涙は出るし、すごく胸が痛くなるんですよね。そういうことがいまだにあって、なんかそういうことを考えると、向き合い方とか、なんて言うんですかね……「あの頃とは変わったな」と言い切れないところもあるんですよね。ただ、間違いなく、先ほども回答であったように、距離感とか付き合い方は上手くなってきたなとは思います。過去を消さないというか。ちゃんとそれも含めての人生だって、胸張ってだんだん言えるようにはなってきたかなということは思ってはいます。
―― (仙台市アリーナ開館記念の)「The First Skate」で滑ったときと今回とで、感触や印象が違っていたことはありますか。
羽生 当時は明るくて、で、今回は照明とかもあって暗くて、完全にアイスショーバージョンのリンクで滑らせていただいたので、全然雰囲気が違いました。暗闇のなかで独りぼっちだなって思うようなシーンもあったり、逆にそこから明るくなって、自分自身も未来を感じながら滑るようなシーンがあったりとか、いろんなシーンの展開を感じさせていただけたなとは思います。
―― 来年、再来年には、震災後に生まれた世代が、羽生さんが被災された年齢の16歳になられて、まさに震災を知らない世界線を生きていく方々がこれから増えていくわけなんですけれども、伝承というこの歌の非常に重要なテーマについて、改めてどのように伝えていきたいかということをお話しいただけますでしょうか。
羽生 先ほども言ったように、その辛い思いをそのまま伝えたいとは思ってはないんですよ。辛い記憶とか、辛い思いは、正直ぼくらだけがあればいいと思ってて。それを無理やり提示することが伝承ではないとぼくは思ってる。だから、こんなことがあったよ、こんな辛い思いがあったよって伝えていくのはいいのかもしれないけれども、そこで悲しくなるようなことはしたくない。だけど、こういうことがあったから、命を守る行動というのを学んだんだよ、こういうことがあったから、こういうふうにすれば命を守れるようになったんだよっていうことだけは伝えていくべきというか、それだけでも残っていくべきなのかなってぼくは思ってます。もちろん記録としても、いろんな災害があったことは残すべきだとは思うんですけど、本当に知らない世代にちゃんと残ってほしいことって、ぼくらが学んだことだけだと思うんですよね。それさえちゃんと残ってれば生きていけると思うので。ぼくは阪神淡路大震災が起きる、本当に1ヵ月前ぐらいに生まれてるんですけど、それがきっかけで、いろんな耐震基準が変わっていって、その建築の基準が変わっていったおかげで、きっと3.11の時に倒壊した建物が少なかったんだと思いますし、そうやってぼくらもきっと守られたんだと思うんですよね。それを知ってるから、なんとなく「あ、あれのおかげで守られたんだな」、「あれがきっかけでぼくらは命を守ることができたんだな」って思えていると思う。だからそれと同じように、3.11があったから、こうやって逃げることができた、防波堤であったりとか、水門であったりとか、いろんなものができて、ここには住居を建てちゃいけないよという境界線とか、いろんなものができてしまって、言ってみたら景色は変わってしまったかもしれないけれども、この景色が変わったことによって、いろんなものが守られてるんだよっていうことだから、どんどん伝わっていけばいいなって、ぼくは漠然と思ってます。

