2024年5月2日
2003年5月:アメリカの国民的大スターの独占インタビュー

【WFSプレイバック②】ミシェル・クワン「チャレンジは尽きることがない」

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「ワールド・フィギュアスケート」のなかから編集部がセレクトした記事をお届けするWFSプレイバック特集の第2回は、「ワールド・フィギュアスケート」創刊号の表紙にもなったミシェル・クワンさんのインタビューです!

ミシェル・クワンさんは、アメリカの国民的大スターです。すぐれたスケーティングスキルと音楽表現から生み出される、魂のこもった滑り。フィギュアスケートというアーティスティック・スポーツの真髄といえる、観客の心をつかむパフォーマンスこそが、クワンさんの最大の魅力といっていいでしょう。全米選手権9回優勝、世界選手権5回優勝、オリンピックでは、1998年長野で銀、2002年ソルトレイクシティで銅、と2度のメダルを獲得。2006年トリノ・オリンピックは棄権し、2009年に学業に専念するため競技を引退。大学院で国際関係学を修めたクワンさんは、政治の世界へ進み、現在中米の国ベリーズでアメリカ大使を務めています。

今回ご紹介するのは、クワンさんを長く取材してきたジャーナリストの田村明子さんが、世界選手権で5度目の世界選手権優勝を果たした2003年春に行った独占インタビューです。大物セレブでありながら、つねに自然体で、知的で品格を備えた22歳が、オリンピックで手にすることができなかった金メダル、スケートへの愛について、率直な思いを語っています。


チャレンジは尽きることがない

1980年7月7日、カリフォルニア生まれ。96年から現在まで5回の世界タイトル、7回の全米タイトルを獲得した世界チャンピオン。長野五輪では銀、ソルトレイクシティ五輪では銅メダルを獲得した。

ーー ワシントン(2003年世界選手権)では5回目の世界タイトルを手にしただけでなく、何か新しい力を得たように見えましたが、どのような気持ちで挑んだのか教えてください。
クワン 94年から10年間世界選手権に出場して、多くのことを成し遂げたと思います。もう私には、実力を見せなければならないというプレッシャーはありません。絶対に優勝したいと思って挑んだわけでもありませんでした。できるだけ良い滑りをしよう、というリラックスした気持ちが、良い方向に働いたのでしょう。

ーー 96年に世界チャンピオンになってから、不調の時でも2位か3位を保ってきたこの強さはどこから来るのでしょう。
クワン 人々は、私は浮き沈みが激しいと言いたがります。もちろん精神的には、浮き沈みはかなりありました。でもスケートに関しては、上下の幅は他の選手よりも狭いと思う。もともと私は自己鍛錬が得意な方です。そういうように、育てられてきたし。自分が落ち込んだ時は、フランク・キャロル(コーチ)、ローリー・ニコル(コリオグラファー)、そして家族が後から支えてきてくれました。素晴らしい環境に恵まれたことも大きかったと思います。

ーー 欲しいものをほとんど手に入れたように見えますが、どうやってモチベーションを保っているのですか?
クワン 実を言うとそこが一番難しいところです。人は大学4年を終えたら人生の次のステージに自然に行きたくなるように、もうすでにこの世界で長い間やってきて充分だと思うことも確かにあります。でもそのたびに、いつも自分の基本に返るようにしていました。そして私は、スケートを愛しているということにいつも戻ってきたのです。

ーー スケートのどのようなところが、そこまであなたを惹きつけるのでしょうか?
クワン スケートは、私にとって常にチャレンジだからです。スケートには、同じ状況というものは絶対にありえません。今年学んだ経験は、来年はもう使えない。いつも必ず新しい課題が目の前にあって、それにどう対応するのかというのは自分の新たなるチャレンジです。チャレンジは、尽きることがないのです。

ーー ソルトレイク五輪前にフランクと別れたのは大勢の人が驚きました。あなたたち2人は、生徒とコーチ以上の関係だと思っていたのですが。
クワン 私がひどいことをしたと思っている人もいるようだけれど、私とフランクとは今でも友だちでよい関係を保っています。ただスケートに関しては、考え方の違いが表に出てくるようになっていました。競技という緊張を強いられる場で、心から信じることのできない相手と一緒にやっていくというのは無理だと感じたのです。

ーー 五輪の最中、彼が隣にいてくれたらと思ったことはなかったのですか。
クワン これは一時の感情で決めたことではなく、長い間考えて決めたことでした。だから後悔はしなかったです。

ーー 2回の五輪の体験について、どちらも優勝候補だったのに必ずしも思うようにいかなかったのはなぜなのか、振り返って考えてみることはありますか。
クワン 長野では演技はノーミスだったけれど、選手村、開会式などの儀式は体験しませんでした。ソルトレイクシティでは五輪体験を満喫しましたが、フリープログラムだけ失敗しました。何をしたら良かったのか、何が原因で金メダルが取れなかったのかと分析することは難しい。長野では、自分の最高の演技ではなかったという以外、失敗はない演技でした。ソルトレイクはSPは良かったけれど、フリーのジャンプ1つが運命を決定しました。でもどちらも悲惨な出来だったというわけでもありません。特に長野での失望は大きかったけれど、その後も人生は好調に続いていきました。人は人生に不満足な時、五輪の金メダルを手にすればすべて問題が解決すると思いがちです。でもそれは違うと思うの。金メダリストになっても、いろいろとその後つけを払わなければならない場合だってあるのです。私はその他の人生が順調で、欲しいものはほとんど手に入れました。自分がそういう立場にあることを、幸せだと思っています。

ーー 最近の五輪は、若手が素早く金メダルを手にし、素早く消えていってしまうという風潮になりつつありますが、それでもやはりスケーターとして五輪に大きな意義を感じますか。
クワン ええ、もちろん。1つには、スケートだけではなく全スポーツの祭典であるという意味で特別な場だと思う。でもそれと同時に、五輪の6分半だけが、人生のすべてを語ってくれるわけではないということも学びました。

ーー ソルトレイクシティ五輪のペア事件(注:ジャッジによる不正採点事件)については、選手としてどう感じたのでしょうか。
クワン フィギュアスケートというスポーツは、ジャッジの間で何が起きているのかわからないものです。それは現在も変わってはいません。時には不公平な採点も出ます。でもそれは、誰にでも平等に起こり得ること。もちろん一部のジャッジに問題はあるけれど、それは多くのリンゴの中に少しだけ腐ったリンゴが混ざっているという意味に過ぎません。人々にはフィギュアスケートというスポーツを、ジャッジを通してではなく選手を通して見てほしいと思っています。

ーー ワシントン世界選手権は戦時下で行われましたが、このような世界危機の場においてスポーツの意義をどのように感じていますか。
クワン フィギュアケートは、巨大な世界のほんの小さな一部に過ぎません。でもスポーツは、同時にエンターテインメントでもあると思うの。外の世界が緊張していても、せめて見ている間だけでも人々の心に安らぎをもたらすことができたらいいと思う。また同時に国際情勢を学ぶことは、トリプルルッツを転んでも世界の終わりが来たわけではないという健全なバランス感覚を私に与えてくれました。

ーー 政治には興味がありますか?
クワン ええ、あります。そのうちもっと深く、世界情勢をきっちりと学ぶ時間を持ちたいと願っています。

ーー 新しいコーチ、スコット・ウィリアムスにはどのような経緯でつくことになったのですか。
クワン 彼とは子どもの頃からの知り合いで、ある時ふと「ちょっとみてくれる?」と頼んだのがきっかけでした。すでに友人として信頼関係があったので、一緒にやっていくのは楽でした。誰かがそこにいて見守ってくれるという感覚は、とても貴重なものです。おそらく来年も、このまま彼につくと思います。

ーー ニコライ・モロゾフに振付を頼むのは、チャレンジでしたか。
クワン どのコリオグラファーも、まったくやり方が違うのでその意味ではチャレンジでした。彼との場合は、SP、フリーとそれぞれ2日間しか時間がなかったのが一番難しい部分だった。結局振付けてもらうというよりも、共同作業のような形になったし、スコットもあとで少し手を加えてくれました。ニコライはスケーターの一番良いところを引き出す技にたけています。1人1人違う対応をしていけるのは、まるで俳優が違う役を演じているようです。

ーー これまでの作品で、特に気にいっているものはありますか。
クワン 「サロメ」です。昨夜、ブロードウェイでアル・パチーノがオスカー・ワイルドの「サロメ」の朗読をするのを見に行く機会に恵まれ、自分の中にあったサロメを思い出して体が震えるような体験でした。

ーー 非常に家族の絆が強いように見えますが、両親はあなたにどのような役割を果たしてくれたのでしょうか。
クワン 彼らは私が落ち込んでいる時に、プッシュをしてくれます。それと同時に、私が子供から思春期へ、そして大人へと成長していくのに必要な精神的余裕も与えてくれました。私たち家族の絆は、とても深いと思います。

ーー お姉さんのカレンと、スケーターとして競い合っていくのは難しいことはなかったのですか。
クワン まったくありません。強いて言うなら彼女が滑る時に、自分で滑る時よりも緊張するぐらい。カレンとも、兄ともとても仲が良く、喧嘩らしい喧嘩をしたことは1度もありませんでした。

ーー 大学とスケートを両立させていくのは、どのようにバランスを保っているのでしょうか。
クワン 実は今年は1年休学しています。長野の後で、大学に行きたいと願ったけれど、大学生でいることがこれほど大変だとは思いませんでした。競技に出るには全力を尽くす練習と、精神的集中力が必要です。学業をフルタイムでやろうと思うと、そちらも全神経を集中しなければならない。しばらくじたばたしてどうにか両立させようと思ったけれど、 1人の人間には無理なことがわかりました。でもいずれは、必ず卒業するつもり。それは今後の人生の目的の1つです。

ーー 当座の、次の目標は?
クワン アマチュアは続けていきます。でも何を目的にして、というのはまだわかりません。来シーズンが近づいてみないと、どのくらいの競技に出るのかもまだ決めていないの。トリノ五輪も、出場するかどうかは、まだ決めていません。1年1年を、精一杯過ごしていきたいと今はそれしか考えていないの。

ーー 最後に、日本の女子について何かコメントをいただけますか。
クワン (村主)章枝とは仲の良い友達です。彼女とは94年幕張で知り合ったの。彼女に頼まれて、 トリプルルッツをやってみせたことを覚えています。私たちは同じ年齢ですが、毎年彼女がどんどん成長してきたのを見て、心からうれしく思っています。日本の女子の全体のレベルの向上は驚くべきものですね。きちんとしたリンクがあり、良いコーチがいるのでしょうけれど、それ以外に短期間にレベルを上げた秘訣があるのなら、こちらが逆に教えてほしいと思っているほどです!

(2003年5月、ニューヨークにて取材/取材・文:田村明子 Text by Akiko Tamura)
※本記事は「ワールド・フィギュアスケート」11号に掲載しました。

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