2024年9月19日
パリ・オリンピック会場でメダル授与式を開催

北京オリンピック団体戦メダル授与式 チーム日本、チームアメリカが感動を分かち合う

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メダル授与式後 日本選手記者会見一問一答

メダル授与式後、日本時間8日1時40分ごろより、チーム日本の記者会見が開催された。鍵山、坂本、樋口、三浦&木原、小松原美里&尊、北京オリンピック選手団団長の伊東秀仁氏が出席した。

まずメダル授与式に至る説明がなされた。北京オリンピックのフィギュアスケート団体戦において、2022年2月7日の団体戦最終日に発表された順位は、1位ROC(ロシア・オリンピック委員会)、2位アメリカ、3位日本だった。その後ワリエワ選手のドーピング違反の発覚により、順位が確定しないままに会期が終了。2024年7月、IOCより、順位を繰り上げて1位がアメリカ、2位が日本と正式なアナウンスが行われ、メダル授与式のインビテーションが発行された。

しメダルを受け取った選手たちが会見に臨み、以下のようにコメントした。

鍵山 パリでのメダルセレモニーを開催するにあたって関わってくださった皆様・関係者の方々に、まずは感謝を申し上げたいと思います。最初、順位が確定したと聞いたときはひとりでよっしゃと喜びがあったんですが、実際にパリでチームのみんなと会って、今日この素敵な場所でメダルセレモニーでメダルをもらったときは、みんなで獲得したんだという気持ちもありましたし、今回宇野(昌磨)さんは予定が合わず欠席という形にはなってしまいましたが、その分、宇野さんの気持ちも一緒に背負って、みんなで喜びを分かち合えたんじゃないかと思います。このメンバーでのチーム戦でのメダルは人生に一度しかないので、すごく幸せな気持ちと、その分大きな感謝の気持ちもあるので、嬉しく思います。

坂本 このような場を設けてくださったのは、すごく自分たちにとってありがたいことですし、2年半前はメダル授与式がなくてどうして? という気持ちが本当にあって、こんなにも複雑なことになるとは思いもせず、あのころは1年くらいでメダルがもらえると聞いていたので、それが2年半という月日が過ぎ、でも待ったおかげで、銀メダルに繰り上がって、メンバーと一緒にメダルがもらえて、今日改めて分かち合えたのがうれしかったし、2年半前の喜びが新鮮な気持ちで感じられたのでうれしかったです。

樋口 北京のとき、2年半前にはみんなで全力で力を出し切って演技をして、獲ったものだったと思うんですけど、どこかモヤモヤした気持ちで日本に帰ってきていたので、こうして……北京のときには無観客だったんですけど、たくさんのお客さんの中でメダル授与式を開いていただけたことがほんとにうれしかったですし、みんなでメダルをもらえたこともうれしいなと思っています。

木原 2年半という時間があいてしまったので、自分の中でメダルをいただいたときにどんな感情が湧いてくるのか想像ができなかったんですけど、こうしてパリでメダルがいただけて、心の底から嬉しく思いましたし、みなさんと喜びを分かち合えたこと、素晴らしい経験になったと思いました。IOC、JOC、ISU、すべての関係者のみなさまに、この場を与えてくださったことを感謝したいと思います。

三浦 2年半越しにメダル授与の場を設けてくださって感謝を申し上げます。みんなの努力が形になってこういったメダルの形になって、本当にうれしいです。

小松原美里 2年半前には考えられなかった、このようにみんなと一緒にお祝いできる機会がいただけて、本当に感謝しています。ここまでくるのに誰一人欠けても…助けてくださった方に感謝します。自分は競技を引退してしまったんですけど、経験や知識など得たものを次世代に渡していけるように、身が引き締まったような思いです。ありがとうございました。

小松原尊 まずこの素敵なメンバーと一緒にもう一回見返すことができてとても光栄に思います。すごくがんばりましたから。この素敵なところで、メダルをもらうことは一度も自分の人生のなかで考えられなかったので、本当にうれしいです。家族と支えてくださった方、自分の心の底から感謝を伝えたいなと思います。本当にうれしいです。

伊東 2年半という長い年月が経過しましたが、夏のアスリートが大活躍しているパリで、IOCバッハ会長のご尽力、JOC、ISUのお力を借りて、メダル授与式を行っていただいたことに深く感謝するとともに、銅メダルから銀メダルに変わったことに非常に喜んでいます。フィギュアの団体戦は、日本で始まった世界国別対抗戦から発してオリンピックの団体種目になった経緯があります。ソチで始まった団体戦は、いつか日本人の手でメダルを獲りたいという悲願のメダルだっただけに、北京で獲れたことを喜んでおります。銀に変わったことで、また新たに日本で団体戦の新たな歴史が始まるのかと思います。こうして選手たちが悲願のメダルを獲れたことは、宇野さんはじめ選手たちに敬意を示すとともに、活躍に感謝を申し上げたいと思います。

質疑応答

―― おめでとうございます。(坂本、鍵山に)夏のオリンピックの雰囲気を肌で感じていかがでしたか。

坂本 北京のときはまだコロナの影響で無観客、関係者しかいない状況だったので、声援も比較的控えめでしたが、(今回)解放された場でお客さんもあれだけいて、そのなかで自分たちがメダルをいただけるのは、熱気もすごかったですし、自分たちも経験したことのない場での授与式だったので、一気に熱量が上がって、直前は全員変なテンションになるくらいすごくハイになっていたので、これでもかというくらい全員楽しめたんじゃないかなと思います。この場でメダルがいただけて良かったなと思いました。

鍵山 SNSとかで、チャンピオンズパークってどういう場所なんだろうと写真を見たり、気持ちを高めていたんですけど、実際に目の前にするとお客さんもたくさんいて、思っているよりエッフェル塔の迫力もすごくて、フィギュアでは聞かないような迫力の声援が聞こえてテンションが上がりましたし、坂本選手も言った通り歩く前からみんなすごく盛り上がっていたので、ぼくも個人戦よりもすごいいい笑顔が出たんじゃないかなと思います。すごく幸せですし、すごくうれしいです。

―― (全員に)夏のオリンピックで注目している競技や感じていることは。

鍵山 皆さん知っているかもしれませんが、高校の同級生(岡慎之助)が体操で活躍していたので、まずはそれを見ていたのと、バレーボールも大好きなので注目して見ていました。競技に関わらず、みなさんの全力のプレーに感動しましたし、ぼくにやる気やパワーをくれたので、次はぼくががんばらなきゃなと思いました。

坂本 私はスケボーとか柔道とか競泳とかをめっちゃ応援していて、柔道は阿部詩選手を個人的に応援していました。こうやってほかの競技を見ると、共通してある部分もあるし、まったく違う部分もあって、そういうなかで選手みんな戦っているので、競技は違えど目指すものは一緒かなと思うので、選手みんなががんばっているのを見ると、自分もがんばらないとという気持ちになりました。

樋口 私はいろんな競技を見れるだけ見るようにしていたので、馬術、柔道、水泳も見ていたんですけど、あとフェンシングも見て、冬だと見られない競技をたくさん知ることができたり、ルールもTVで細かく説明してくれてわかりやすかったり、すごく知ることができたので、面白いなと感じたのと、自分自身もどんな競技を見ていても刺激をもらえるので、自分に取り込めたら、いいものを吸収していけたらいいなと思っています。

木原 たいしたこと言えない。(笑)私はカナダの(競泳)サマー・マッキントッシュさんを個人的に注目させていただいていました。普段一緒に練習しているチームメートの妹さんで、面識はないんですけど勝手に親戚気分で、ジムでもトレーニングを中断してずっとTVを見てしまっていました。

三浦 ジムでテレビをつけると、よくサマー選手が出ていたので、私も水泳を応援していました。

小松原美里 お友達が出場していたんですが、フィールドホッケーの永井葉月さんと、いま頑張っているトラックサイクリングの太田海也くんをしっかり見ていました。脳震盪のリハビリでお世話になった方がバスケのトレーナーさんでがんばっていたので、チェックしながらバスケを見ていました。

小松原尊 体操が大好きなので、橋本大輝さんと、レベッカ・アンドラーデさんを見ながら、ぼくもがんばりたいという気持ちで。自分の人生のどこでも、がんばる気持ちをもちながら、目指したいと思います。

―― 鍵山選手、このメンバーは一生で一度というお話がありましたが、みなさん団体戦のことを思い出して、思い出やメンバーのよさを。

鍵山 団体戦は僕にとって初めてのオリンピックの競技だったので、まずはオリンピックを楽しもうという気持ちがあったので、自分の競技以外の応援にはほぼ行くようにしていました。応援するのが楽しかったという思い出があるのと、今回のチームのみなさんは本当にいい人で、優しく接してくださるので、チームの中では最年少だったんですが、優しく楽しく関わってくださったので感謝しています。ありがとうございました。

坂本 団体ですごく印象に残っているのが、女子のフリーが最後(の種目)で、自分が滑る前にメダルが決まっていたらしくて、私以外全員知ってたんですけど私だけ知らなくて、(中野)先生が昌磨くんに「メダル確定してるけど花織には絶対言わないでね」って、言っちゃうと気が抜けるからとそのまま送り出されて、最後まで気を抜くことなく集中してできて、みんなはもうメダル確定しているのを知っているうえで本当に決まって、ワーって感じだったんですけど、自分は2位になってメダルだ! とハイになっていたのかなというのがそのときの印象です。

樋口 印象的だったのが、私が滑る前の選手たちもノーミスの演技をしていて、このまま自分もいい波に乗って次につなげたいと思っていたので、初めてのオリンピックで緊張していたんですけど、みんなで完璧な演技をしてメダルを獲ることができたので、それがいちばん印象的で、うれしかったと思います。

木原 3回団体戦に出場させていただいて、どのチームも素晴らしいんですけど、北京のメンバーは楽しかった思い出しかなくて、全員の試合のたびに叫び倒していたので、試合のあと少し声が出なくなってしまっていて、インタビューどうしようかなと思うときはありました。あと言うこと忘れちゃった。(笑)自分にとって素晴らしい思い出です。

三浦 私にとってはじめてのオリンピックですごく緊張していたんですけど、コロナ禍の開催で観客が少ないなかで、チームジャパンのみんなの応援がすごく心強くて、それがうれしかったです。

小松原美里 私たちは団体戦のいちばん最初の滑走者で、初めてのオリンピックで緊張していたんですけど、どうやって滑ったのか覚えていないくらいみんなの応援で一生懸命滑っていたのを覚えています。メンバーは人としてもスケーターとしても心から尊敬していて、宇野昌磨さんも含めて、このメンバーの一員でいられることに心から感謝しています。大好きです。

小松原尊 団体戦のフィギュアの一番滑走になってしまったので、がんばらないとと思っていました。結構難しかったけど、スターティングポーズのときに、ジャパンのボックスにみんなが座っているのに気づいて、がんばれるという気持ちでパワーアップしてもらいました。みなさまのおかげでがんばれたと思っています。最後(キャラクターの)ビンドゥンドゥンをもっているとき、コロナのなか隔離中の大会があったし、みんなと一緒にがんばったので、やりきるのを見るのも光栄に思いました。ありがとうございます。おめでとうございます。

―― どう楽しむか事前に話し合いましたか。宇野選手のためのメッセージは、どう話し合いましたか。

坂本 流れで決まって、先頭がアイスダンスの2人で、肩組んでいくよ! みたいな、本当にそのときのノリで、おかしなくらいみんなハイになっていたので、何でも楽しくて、それでいこー! みたいになんでもかんでも決まりました。そのときのフィーリングでした。

鍵山 指にみんなで(SHOMAと)書こうって決まったんですけど、本当はいろいろ昌磨くんのためにやりたかったんですけど、制限が厳しくて。団体戦はこのメンバーと昌磨くんありでのチームジャパンなので、何か昌磨くんを残せるものを……昌磨くんを連れていきたいという思いがあって、みんなの指に書いているんですけど。昌磨くんが見てくれたらうれしいですけど、昌磨くんからいわれたとかじゃなくて、ぼくたちがやったことなので、すごく達成感と、昌磨くんをパリの地に連れていけたんじゃないかなと思います。

木原 自分たちはよく海外の観光名所を訪れたときに、記念に残るようにチェアリフトをやっているんですけど、チャンピオンズパークがエッフェル塔の前ということをSNSで拝見して、我々も授与式の前でりくちゃんと相談して決めました。

小松原美里 アイスダンスは、私たちは特に考えていなかったんですけど、りくりゅうを見て「いいな、やろう!」と完全に波に乗りました。

―― (伊東氏に)改めてドーピング問題について。

伊東 団体戦の時、ドーピングについて、アメリカだけが抗議したようになっていましたが、我々もですね、オリンピック会場でメダルを渡さないのは夏冬通して初だったと思うので、とにかく期間中に渡してほしいということをIOCに訴えていました。しかし残念ながらドーピングは非常に時間がかかるので、そのときは銅メダルももらえず、選手たちはメダルを持って帰れずに辛い思いをしたと思っています。日本に帰ってからも、IOCには、とにかくメダルは早めにいただきたい、銅メダルでもほしいと、つねにIOC、そしてISUを通してもお願いをしていました。残念ながら2年半という長い年月がかかってしまった。アスリートをサポートする側も、選手も、薬物を使って記録を伸ばすことは絶対にしてはいけない。そういう教育をしている身としては、残念な結果ですし、我々も今後も薬物には手を添えず、しっかりフェアプレーで戦っていくように教育していきたいと思います。

―― (鍵山選手ゆかりの富山について)富山は年初の能登半島地震で被害が出ました。被災状況について鍵山選手はどう感じていますか。被災地へのメッセージを。

鍵山 被災した方々は、ぼくが感じ取れないような悔しさや、寂しい思いも感じていると思うので、ぼくが言える立場ではないんですけど、いまはみなさん前を向いてがんばっていると思います。ぼくが何かできる立場ではないんですけど、ひとりのアスリートとして日本を背負って、みなさんの期待や夢を背負っていると感じたりもするので、ひとつでもいいパフォーマンス、いい結果を取ることによってみなさんに勇気や元気を与えていけたらいいなと思っています。


さらに北京オリンピック男子シングルの金メダリスト、ネイサン・チェンさんは団体戦の金メダルを受け取り、以下のように喜びを語った。

ぼくたちは全員、チームでいっしょにこのメダル獲得を祝えることを願っていました。なので、全員でここに来られて、この時間を共有できて、本当に素晴らしい気分です。スケーターとしてはぼくらは普段、個人競技に出ており、ぼくたちは1人(組)で滑り、1人(組)でメダルを受け取ります。このようにチームとしてみんなで集まる時間を持てるように、トレーニングを続け、競技会で戦い、何年もかけてお互いのことを知ってきたので、いまこのときを1つの家族として迎えられたのだと思います。

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