「ワールド・フィギュアスケート」プレイバック第3回は、バンクーバー・オリンピックの金メダリスト、キム・ヨナさんが2006年世界ジュニア選手権で優勝した際の初々しいインタビューです!
キム・ヨナさんは、ご存じのとおり、バンクーバー・オリンピックで金メダル、ソチ・オリンピックで銀メダルを獲得した韓国のレジェンドです。ヨナさんは、シニア1年目の2007年初め、カナダに渡り、ショースケーターを引退しコーチに転身したばかりのブライアン・オーサーの初めての教え子となります。新しいホームリンクとなったのは、のちに羽生結弦、ハビエル・フェルナンデスらが拠点とする名門クリケットクラブでした。オーサーとトレイシー・ウィルソン、振付のデイヴィッド・ウィルソンという優秀な指導陣に育てられ、ヨナは2010年韓国フィギュアスケート初のオリンピック女王となります。2014年ソチ・オリンピックの銀メダルを最後に競技を引退しました。
昨季のさいたま世界選手権では、チャ・ジュンファンとイ・ヘインが男女シングルで銀メダルに輝き、ジュニア世代にも、シン・ジアをはじめとする才能が多数ひしめきあっています。いま競技で活躍する韓国選手たちにとって、ヨナさんはスケートを始めたきっかけであり、憧れてやまない先輩なのです。今回の記事は、スポーツライターのタチアナ・フレイドさんが2006年世界ジュニア選手権でインタビューしたもの。この4年後、韓国フィギュア史に大きな功績を刻むことになる15歳の新星が語った未来への思いです。
来季はシニアのGPでがんばりたい。有名な選手の演技を見るのが楽しみです
ーー 世界ジュニア選手権優勝、おめでとうございます。フィギュアスケートでは、韓国史上初の金メダルですね。あなたにとって、このメダルが持つ意味は?
キム いまだに信じられません。とても高い得点が出たので、本当にうれしいです。来シーズンはシニアのグランプリ・シリーズでがんばりたいです。
ーー スケートを始めたきっかけは?
キム 7歳の時、自宅近くのリンクで始めました。最初は4歳年上の姉と一緒にグループ・レッスンを受けていました。
ーー 初めて氷の上に立った時の感じは?
キム 実は、よく覚えていないんです。もう、ずっと前のことですから。とにかく姉と一緒にスケートを楽しんでいました。姉も一緒にグループ・レッスンを受けていたのですが、私はコーチの勧めで個人レッスンを受けるようになりました。姉はもうスケートは続けていません。
ーー 最初に跳んだ3回転ジャンプは? それは何歳のとき?
キム 最初は3トウループ。11歳のときです。12歳では、サルコウ、ルッツ、フリップも成功させ、4種類のトリプルを跳んでいました。ループだけは13歳になってから成功しました。
ーー スケートの好きなところは?
キム 他のスポーツと比べると、フィギュアスケートには、本当にたくさんの要素が組み込まれています。私はジャンプが好き。ジャンプが成功したときの観客の反応も好きです。ジャンプの練習も好き。
ーー では、スケートの嫌いなところは?
キム けがをして、痛みをこらえながら滑らなくてはいけないときが嫌です。これまで足首を痛めたことが何度かあります。今シーズンは、スケート靴の問題がたくさんありました。シーズン開幕以来、7回もスケート靴を換えたんですよ。硬い靴が必要なのですが、壊れてしまうんです。ジュニア・グランプリ・ブルガリア大会とファイナルのときは、どちらも試合の2週間前に靴を換えました。世界ジュニアの10日前にも換えたんです。他の選手の靴を借りたこともあります。なぜ靴の問題がこんなに続くのか、自分でもよくわかりません。靴が私の味方になってくれていないと感じたくらいです。
ーー 3アクセルの練習は?
キム 12歳のとき、短期間でしたが練習していました。去年の夏に再開しましたが、けがをしてしまったので、中断しました。
ーー 昨シーズンからみると、素晴らしい成長ぶりですね。どんな練習をしたのですか?
キム 昨シーズンは音楽が悲しい印象だったので、イメージチェンジをしたかったんです。そこで、表現力や演技力にも力を入れました。顔の表情については、口シアのナタリア・カザコワコーチの指導を受け、新しいショートプログラムはトム・ディクソンに振付けてもらいました。フリー・プログラムは(カナダ選手の)ジェフリー・バトルが2年前に作ってくれたものです。
ーー バトル選手との練習はどうでしたか?
キム 他の選手が私のプログラムを作ることに対して、最初は違和感がありました。でも、ジェフリー本人はとても芸術性が高く、魅力的なスケーターです。ジェフリーがプログラムを作り、ベン・フェレイラ選手の奥様(ジャデイン・フレン)が細かいところを直してくれたのです。ミシェル・リー(ダグ・リー夫人)も手伝ってくれました。
ーー 将来、プログラムを作ってもらいたいコリオグラフアーは?
キム もしかしたら、デヴィッド・ウィルソンにお願いするかもしれません。
ーー 韓国では、まだフィギュアスケートはメジャーなスポーツではないですね。ショートトラックの方が、断然人気があります。でも、あなたの活躍で状況が変わりましたか?
キム 以前は、韓国の人は、フィギュアスケートについて何も知りませんでしたが、今では興味を持ちはじめています。ジュニア・グランプリ・ファイナルに優勝してから、フィギュアヘの関心が高まってきましたね。今では、街を歩いていると私に気づく人がたくさんいます。サインを頼まれることもあります。私に気づき、私のことを話している人も見かけます。韓国のテレビ局も初めてファイナルなどを放映し、ニュースでも取り上げられました。
ーー スケート好きのお母様の影響でスケートを始めたそうですが、お母様は試合にはいらっしゃるのですか?
キム いいえ。経済的な理由もあるのですが、母はすごく緊張してしまうんです! 韓国では練習を見に来ています。
ーー 今後の計画は?
キム いろいろなスタイルのプログラムに挑戦したいです。来シーズンのプログラムについては、まだ何も決めていませんが、たぶんフリーは新しいプログラムにすると思います。
ーー 来シーズンはシニアの仲間入りですね。抱負は?
キム 有名な選手の演技を見るのが楽しみです。
ーー 尊敬する選手は?
キム 子どもの頃は、ミシェル・クワンにあこがれました。長野五輪(1998年)で演技を観たんです。あと、ジョニー・ウィアーが大好き。とっても芸術性が高いから。でも、本人にはまだ会ったことがありません。それとエフゲニー・プルシェンコとカロリーナ・コストナーにも会いたいです。
ーー ジュニア・レベルでは最大のライバル、浅田真央選手についてはどう思いますか?
キム 彼女をライバルだと思ってはいません。彼女とは、闘っているのではなく、お互いを刺激し、高めあっているのだから。自分を他人と比べたくはありません。私は自分のベストを尽くしたいだけです。
ーー トリノ五輪が終わったばかりですが、すでに2010年バンクーバー五輪に人々の関心は移っていますね。
キム まだ先は長いです。五輪に向けて、一生懸命練習したいとは思いますが、私の身体に変化があるかもしれません。たとえば、太ったり。けがをするかもしれません。とにかく、バンクーバー五輪に出場して、自分のベストを出すことができればいいなと思っています。
ーー 練習の合間には、どんなことをするのが好きですか?
キム インターネット。自分のサイトも持っていて、そこでいろいろな人と出会うのが好き。自分の写真をアップしたり、話をしたり。ジュニア・ファイナルで優勝したときは注目が集まり、おめでとうメッセージもいっぱいいただきました。
ーー 好きな食べ物は?
キム 何でも好きですし、何でも食べます。海外に行くときも、韓国の食べ物は持っていきませんよ。
ーー 学校には行っていますか?
キム 学校に通う時間はあまりありません。日中はソウルのスポーツ・センターで10時から12時まで練習。氷上での練習は、日中2時間と夜2時間。時には夜の10時から12時、9時から11時に練習することも。そうなってしまうと、リンクに残っているのは私ぐらいです。
ーー コーチが変わりましたね。昨シーズンは、チ・ヒョンジョンコーチについていましたが、今はキム・セヨルコーチについていますね。
(キムコーチが回答)2年前は、チ・コーチと私が一緒にヨナを指導していました。一緒にカナダにも行ったのですが、そこで私が目を患ってしまったのです。今シーズンは、ヨナの母親から頼まれて、また私が指導することになりました。韓国スケート連盟は、海外から有名コーチを招聘することも検討しています。
ーー ありがとうございました。来シーズンもがんばってください。
取材・文/タチアナ・フレイド 訳/新村香
Text by Tatjana Flade
Translation by Kaori Niimura
※本記事は「ワールド・フィギュアスケート」23号に掲載しました。