創刊100号を記念し、編集部がセレクトした記事をお届けする「WFSプレイバック」特集。第4回は、両手を頭上に上げて跳ぶ「リッポン・ルッツ」の生みの親で、全米選手権チャンピオンにも輝いたアダム・リッポンさんです。
世界ジュニアを連覇したジュニアのころは愛くるしい巻き毛の金髪がトレードマークだったリッポンは、まだほとんど成功例がなかった時期から4回転ルッツに挑戦したパイオニアのひとり。未知の領域に挑むファイティングスピリットにあふれると同時に、多彩なスピンや独創的な振付でパワフルかつダンサブルな表現を見せる選手でした。
インタビュー取材は2015年スケートカナダ。ちょうどこの直前、リッポンはゲイであることを公表しました。このインタビューでも「若いスケーターの助けになりたい」とその意義を話したリッポンは、のちに2018年の平昌オリンピックで、フィギュアスケートで米国初のオープンリー・ゲイのオリンピアンとなります。競技の世界においても、社会に身を置く個人としても、「つねにいちばん先を行く」進取の気性に富んだ彼は、誇り高いアスリートとしてのひとつのあるべき姿を見せてくれました。
現在はコーチ、コリオグラファーとしても、メディアに登場するパーソナリティとしても活躍するリッポン。いつもおしゃれでウィットに富んだ彼の内側にある、信念と優しい心に触れるインタビューです。
年齢はたんなる数字にすぎない
ーー グランプリ初戦を終えて、いまどんな気持ちですか。
リッポン メダリストになれなかったことについては落胆しているけれど、同時にポジティブな記憶とともにここを離れることができると思っています。2つのプログラムをしっかりと滑ることができたし、ぼくが伝えようとしたことを観客が受け取ってくれたという手ごたえを感じた。滑っていて、ぼくも楽しかった。昨シーズンの今ごろを思い出すと、全然仕上がってなかったし、練習してもいなかった。今シーズンはずっと準備が整っているし、初戦で4位というのも悪くない結果です。ファイナルに行けるかわからないけれど、ボストン世界選手権の代表チームに入れると信じています。
ーー 母国で世界選手権が行われるのは特別な体験ですよね。アメリカでは2009年のロサンゼルス大会以来です。
リッポン もちろんすごく楽しみ。ありがたいことに、世界中にファンがいてくれて、世界のどの国に行ってもまるでホームのような気持ちで滑ることができる。でもやっぱり、母国で滑るときは、さらに何か特別な気持ちになれるんです。ベストの演技を世界選手権で見せたいから、今季は本気で練習していきます。
ーー もうすぐ26歳。ベテランの1人となりました。
リッポン いまや男子最年長のスケーターの1人だなんて、なんだかおかしいなと思います。でもぼくはまだ若いと感じているし、進歩していると実感できている。進歩が止まったと感じる日が来るまでは、選手でいたいと思うんです。永遠に競技スケーターでいることはできない。でもいま健康で、こうして滑れている幸せを感じます。きっと辞めるときがきたら、すごく動揺してしまうだろうな。
ーー いまでもファイティングスピリットを保っているんですね。
リッポン はい。
ーー 前に進んでいく力の源泉は何ですか?
リッポン 自分で決めた目標があるから。もちろん勝っていくことは大きな要因だけど、結果が悪くてもやる気がなくなったりショックを受けたりすることはもうありません。ありのままを受け止めて、次の試合に向けて進んでいけるようになった。
ーー 昨シーズンの全米選手権で4回転ルッツに挑み、話題になりました。
リッポン 自分にとっても特別な瞬間でした。じつはその前の何カ月も、もう戦いたくないとすら思っていたんです。でも、この競技に120%の力を尽くそう、すべてを懸けて、誇るに足る姿を見せようと自分に言い聞かせました。もし最後の競技会になるとしたら、いい記憶とともにその場を去りたいと思って、最後の瞬間まで戦い抜いた。その経験が、ぼくの目を開かせてくれたんです。新しい人生が目の前に拓けたような感じで、スケートを楽しめるようになりました。全力を尽くした経験を通して、自分のことを信じる大切さ、練習することの意味を学ぶことができた。目標は必ず果たせるということ、年齢はたんなる数字にすぎないのだと理解したんです。
ーー いまは今後のキャリアに線引きはしていない?
リッポン その通り。今日は今日、明日はまた新しい日で、一歩一歩進むということがわかったから。身体に限界を感じるまでは進み続けるよ。
ーー 以前にアシュリー・ワグナーが、「アダムは私のソウルメイト」と語っていましたが。
リッポン ぼくにとっても友人以上、家族みたいな存在。キャリアの軌跡も似ているし、強い結びつきを感じるんです。ぼくには2人妹がいるけど、アシュリーは3人目の妹だね。
平昌オリンピックに出るのが目標
ーー 今シーズンのSPとフリーにこめたテーマを話していただけますか。
リッポン 喜んで。SPはクイーンの「Who Wants To Live Forever」。ストーリーは、この世を去って天使となった主人公が、地上に遺された愛する人に語りかけるというもの。最後には、2人は別れなくてはならない。「まだ生きたい」と訴えかける主人公が、最後に「永遠に生き続けることはできない」と悟るというテーマです。
ビートルズの曲を使ったフリーは、ぼくのスケート人生を象徴しています。とても綺麗な、爽やかな朝のような雰囲気で始まる、ちょっと楽しげな最初のパートは、ぼくが若くして成功を収めた時代。それから曲が「イエスタデイ」になり、キャリアの中盤で苦しんだ時期、物事がうまくいかなかったり、周囲をがっかりさせてしまったことを描く。最後には「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」で、いまのぼくを表現する。いまぼくは幸せなんです。それが「イエスタデイ」の後に来るということが大事で、昨日は昨日、今日は喜びに満ち、明るい光に満ちている。そういう物語を、プログラム全体で描きたいと思っています。
ーー クイーンもビートルズも、強いメッセージ性のある曲です。
リッポン きっと苦手だと思う人もいるでしょうね。でも、誰かが何かを深く愛し、心をこめて演技しているとき、誰もそれを否定することはできません。メッセージそのものが自分のテイストではなくても、それまで感じたことがなかったような思いがけない感動を覚えることがたしかにある。ぼくが届けたいのは、この2つのストーリーを愛していることそのものなんです。
ーー 人生のモットーにしていることはありますか。
リッポン ぼくの人生哲学は、やってみたいと思うことに出会ったら、チャンスがあり次第やってみよう、ということ。人を傷つけたりしない限り、心を動かされた方向に進むべきだと思っています。失敗を恐れたり、誰かをがっかりさせたくないと思うのは人としてよくあることだけど、引いてしまってはいけない。誰かに遠慮してしまうと、自分自信が幸せになることができなくなります。ぼくが最年長の1人になっても競技を続けているのは、これからもっと新しいことに挑戦したいから。心から望むことを追求し、精一杯の努力をするのなら、恥じることは何もないと思う。髪を青くしたかったら、やってみればいい。だめだったら染め直せばいいんだから。(笑)
ーー なぜ、(髪の色を)青に?
リッポン 最初は白だったんだけど、それがだんだん紫がかってきて、「氷上で映えるよ」と言われたものだから、もうちょっと色を強くしようと思った。で、自分で染めたら、ちょっと長く放置しすぎちゃって。真っ青になってびっくりしたけど、「これもいいかもしれない」と。今季のロックンロールなプログラムに合っていると思うんです。ぼくはロスに住んでいるけど、ロスはアーティストが多くて、好きなように振る舞っている人ばかりの街。ちょっと変わったことに挑戦する自信がもらえる。競技会に青い頭で来るなんて、「ぼくはいったい何をやっているんだ」と我に返ることもあるんだけど(笑)、でも、やっちゃうことにしている。この頭を見て、新しく誰かがスケートを見始めるかもしれない。みんな似たような髪型や衣装のなかで、ぼくは“違う”でしょう。
ーー 4回転ルッツを追求するのも、他とは違うからこそ?
リッポン ジャンプに関してはぼくはずっと遅咲きで、トリプルアクセルが跳べるようになったのも18歳という遅さだった。4回転はトウ、サルコウ、ループ、フリップ、ルッツを降りたことがあるけれど、ルッツがいちばんやりやすいんです。昨季のはじめはまったく跳んでなかったけど、今季は全部の試合でトライして、全米や世界選手権で跳ぶために経験を積み重ねたいと思っている。今回は失敗したけど、いい状態に仕上がってきてると思います。今季はグランプリでメダルを獲ること、全米選手権で優勝すること、ボストンで最高の演技をすることを目指していきます。オリンピックまで滑るポテンシャルが自分にあると思っているし、2018年の平昌オリンピックに出るのが大きな目標です。
周りと違うことは悪いことじゃない
ーー 個人的な質問になるのですが、先日、ゲイであることをカミングアウトされました。そのことを話していただけますか。
リッポン もちろん。
ーー とくに若い世代に向けて、メッセージを発したということでしたね。
リッポン ぼくはアスリートとして、より多くの人々に声を届けることができるし、とくに日本やカナダ、フランスなど、より広く国際的にリーチすることができる存在です。だから、何かしたいと思っていたし、いまなら語れると思った。ここまで長く滑ってきて、ファンはぼくのことをよく知っていますから。
若いころ、自分について戸惑っていた時期に、アスリートたちのインタビューをたくさん読んだんです。彼らがどんなふうにゲイであることを公にしたのかを読んで、だんだんと「そんなに重大なことではない」と思うようになりました。普通にあることであって、心配しなくてもいい、というふうに。
いつか誰も気にしなくなって、話題にもならなくなる日がきたらいいなと願っています。でもそれまでは、誰かが本当の姿を見せることで、それを知った人々が、その人自身のストーリーを語りやすくなるという効果があると思う。それはゲイであるなしに関係なく起こることです。もしぼくが自分のことを話せば、相手も自分のことを話しやすくなる。自分がどういう人間かに自信をもっているということを見せることもできます。ぼくにとっては、「ぼくはゲイだ」と伝えることが目的だったのではなくて、自分がこういう人間だということを、ファンや一般の人たちと分かち合いたかった。知ってもらうことで、ぼくにとってみれば自分のプログラムについて話しやすくなるし、より誠実にこうしたインタビューに答えることもできるようになるわけです。
たしかに個人的なことなんだけれども、ぼくはオープンに自分のことを話したい。だって、何にも問題なんてないんだから。ぼくが言いたいのは、自分自身を好きになって、自分自身として幸せになり、ほかの人たちがどう思うかを心配しすぎないでほしいということ。自分を大切にして、相手のことも尊重していけば、やがてはうまくいくと思っています。
ーー 勇気づけられた人も多かったと思います。
リッポン あらゆる感情のなかで、いちばんよくないのは「後悔」だと思っているんです。自分に対して正直じゃなかった、という後悔。もし窮屈な思いをしている若い人がいるとしたら、自分に正直になって、相手に本当のことを語れるようになれたらいいねと言ってあげたい。家族や親しい人たちは、そのままのきみを愛してくれるよ、と。ときには理解されるまで待たなくてはいけないときもあるし、自分の味方が全然いないと思う場合もあるかもしれないけど、わかってくれる人は必ず現れる。友達とジョークを言ったりからかったりもできるようになるしね。自分らしくあるということは、自由だということなんです。
ーー 発言されたあと、印象的だったことや、何か変化したことはありましたか。
リッポン 数年前に家族や友人にはすでに言ってあったし、自分としてはそんなに大変なことではありませんでした。でもじつは頭のどこかでは、恥ずかしいなと思う気持ちもあった。それに、日本の雑誌だから言うけれど、日本のファンのみなさんはどんなふうに思うかなと心配する気持ちもあったんです。日本は社会的な圧力が強いと聞いたことがあったから。だから、ぼくの話を目にした多くの日本の方々からも応援のメッセージをたくさんいただいて、本当に感謝しています。
ぼくは自分のストーリーをみなさんとシェアしたい。みなさんにも、自分自身のストーリーを話しても大丈夫なんだと思ってもらいたいです。誰だって完璧じゃないし、“普通”でなければいけないわけでもない。ぼくがこうして話すことによって、たんにゲイであるということだけでなく、他者と違うことは悪いことじゃない、違うことそのものを受け入れ、抱きしめて生きていこうというメッセージを伝えることができたらと思っています。
(2015年11月1日、スケートカナダ男子フリー翌日に取材)
取材・文:ワールド・フィギュアスケート編集部 Text by World Figure Skating
※本記事は「ワールド・フィギュアスケート」71号に掲載しました。