2024年5月20日
引退会見レポート

本田真凜 一度も逃げ出さずにやりきれた

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本田のあいさつに続いて質疑応答が始まると、記者からの質問に頷きながら耳を傾ける。これまでのスケート人生、そして自身の未来を見つめ、丁寧に言葉を紡ぎながら、きっぱりとした口調で質問に答えていった。

どんな困難があったとしても乗り越えていける

―― 2歳から始まったスケート人生、これまでいちばん印象深かった場面は。

本田 私は2歳のときに、お兄ちゃん(兄の本田太一)が先にフィギュアスケートをやっていたのをきっかけに始めたんですけど、そこから兄妹4人でスケートを始めるようになり、一緒に切磋琢磨してがんばってきて。1つ、京都の大会だと思うんですけど、兄弟で4人で優勝できたときがすごくうれしくて。いちばんうれしかったんじゃないかなと思います。

—— 妹さん2人は芸能活動をされていますけども、この引退を機に芸能活動ということは。

本田 私はまずフィギュアスケートが本当に大好きで、妹たちもそうだと思うんですけど、滑り続けられる限り、みなさんが「見たいな」と思ってくださっている限り、今後もスケートを滑り続けていきたいなと思いますし、たとえ表に出なくなるときが来たとしても、私はどこかでスケートを滑り続けているんじゃないかなとも思います。これからは、もしチャンスがあれば、どんなことにも新しく挑戦していきたいなと思いますし、何事も全力でがんばっていけたらいいなと思います。ありがとうございます。

―― 21年間フィギュアスケートと向き合ってきて、いま感じるフィギュアスケートの魅力というものは。

本田 私は小さいときにフィギュアスケートとアイスホッケー、体操、水泳、あとはテニスとかピアノとか本当にたくさんの習い事をさせてもらっていて、そのなかの1つっていう感じだったんですけど、地元のスケートリンクが夏の間プールに変わったりとか、醍醐のリンクが潰れてしまったのをきっかけに、移動の距離が、スケートだけが本当に長いものになって。いつの間にか小さいながらに、がんばって送ってきてもらったからには、何か爪痕を残すような練習をしないとというように思うようになりました。あとは、たくさんのみなさんの前で1人だけで演技ができて、みんなに見てもらえるというところが、自分のなかでは特別なものというふうに変わっていった。他の習い事とどこが違ったかとか、スケートのどこが特別だったかと言われると、いちばんはそこかなと思います。これだけ長く続けてきて1度も逃げ出さずにやりきれたのは本当に自分の今後にとっても生きてくるなと思いますし、いろんなことを乗り越えてこれたからこそ、今後どんな困難があったとしても、本当にいまの私は乗り越えていけるんじゃないかなっていうふうに思っています。

それまで絶対に全日本に出続けるんだ

―― 競技者を引退するタイミングを決めたのはいつごろなのか、またこれまでやってきたなかでいちばん好きなプログラムを1つ教えてください。

本田 本当に10歳ぐらいのときは自分のなかで習い事の1つで、正直に言うといつやめてもいいという感覚でした。10歳ぐらいのときには、16になったタイミングでスケートはやめて、もっと好きなものをいっぱい食べたいし、好きなことをたくさんしたいなと思ってたんですけど、実際、16歳になってみると、その時期自分にとってすごくつらいシーズンではあったんですけど、スケートがなくなる生活っていうのが自分のなかでは考えられなくて。16歳の年末に1回、自分の意志で初めてスケートを休んだ時期があったんですけど、実際に休んでみると、罪悪感というか、練習早くしなきゃっていう気持ちになって、4日間しか休まずに年末にはもう練習を再開していて。兄の太一が引退の年、いまの私と同じ年になったときに、最後の試合で最高の笑顔で、やりきった表情で終わっているのを見て、私もここまでやりきりたいなって思いました。「それまで全日本に絶対に出続けるんだ」というのをそのときに決めて、すべて達成することができていまに至ります。好きなプログラムは、そうですね……。たくさんたくさんあるんですけど、「The Giving」という曲が私のなかでは本当に特別で。家族への思いだったり、そういうものを振付の方と相談して、作っていただいたプログラムで。つらいなって思うときに1人で練習したりとか、いまでも(演技を)するような特別なプログラムだなっていうふうに思っていて。でもほかのプログラムもどれも自分にとっては大切で、特別なプログラムかなと思います。

―― 全日本の後には、周りの方たちからどんな声掛けをされましたか。

本田 全日本選手権が始まる前は、自分のなかで本当に……体の状態とか、不安要素がたくさんあるなかでがんばるって決めたことを、自分のなかでは本当にやり切れたなと思っていました。周りの先生方とか、一緒にがんばってきてくれたみんなとかは「よかったよ」と言ってくださったんですけど、数日経つと、もっとこう……「こういう演技で終わりたかったな」とか、「こういう状態じゃないときに最後の試合ができたらな」とか、少し思う日もあったんですけど、でも自分にとっては、本当に一旦落ち着いて考えてみたら、「よかったな」と思いますし、心を込めて演技ができていたので、もう思い残したことはないかなっていうふうに思ったんですけど。周りのお友達とか、先生方や家族とかにも、「ほかにも完璧な演技だったりとか、もっと点数のいい演技っていうのはたくさんあったとけど、本当に感動するいい演技だったよ」っていうのを伝えていただいて、すごくうれしかったです。

憧れの浅田真央からかけられた言葉

―― 今回、引退を決めるなかでかけられた言葉で、印象に残ってるものは。

本田 そうですね……。たくさんの方にありがたいお言葉をいただいたんですけれども、やっぱり私にとって本当に憧れの女性であり、憧れのスケーターである浅田真央さんにお話をさせていただく機会があって。そのときに、最後のシーズンだということをお話しさせてもらったんですけど、いつも私がつらいなって思ってるときとかに、なにかを察して、こっちから連絡をしないときでも、私の心に響く本当に素敵な言葉をかけてくださるのが浅田真央さんで。そういう部分も含めて、本当にすばらしい女性だなというふうに思うんですけれども。いちばんは真央さんかなって思います。

―― おっしゃれる範囲で、どんな言葉をかけられたのかお聞きしてもいいですか。

本田 まずは終わったときに、私が落ち込んでるときに、メッセージをくださって。一言一句間違えずに言えるぐらい自分のなかでは覚えているんですけど、それは自分のなかの秘密にできたらいいなっていうのもあって。「真凜は最後まで小さいときから逃げずにがんばってこれたのは、すごいえらいことなんだよ」っていうのを言っていただけて、「新しいスタートも胸を張って思いっきり進んでいけばいいよ」っていう言葉を、一部ですがかけていただきました。本当にありがとうございます。

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