国スポまでの日々、そしてこれから
織田は2022-2023シーズンに競技に復帰し、3季目の今シーズンは全日本選手権に出場して、並み居る有力選手たちを抑え総合4位を手にした。多くの選手にとって、プレッシャーにさらされる苦しい試合になった全日本で、自分自身に集中してしっかりと戦い抜き、結果としてもたらされた順位だった。
結果を見てびっくりして。(1度目の引退の)11年前も4位だったので、まさか同じ位置にいるなんてと信じられない気持ちです。若い選手たちと戦うことができて、最終グループという、これもまた11年ぶりに味わうヒリヒリした緊張感のなかで滑らせてもらうことができた。復帰しなければ、この苦しさもわからなかったし、全日本で滑る楽しさも知ることができなかった。滑ってて、味わって、やっぱりスケートが好きなんだな、スケートって楽しいなと改めて氷の上から感じることができました。
2024年全日本選手権にて
彼が2度目の現役生活を送ることを決心し、練習を継続していくモチベーションになったのは、「自分の限界を超えたい。自分が死ぬ気で努力したら、どこまでいまのトップの選手たちと戦えるんだろう、人間ってどこに限界があるんだろうということを、知りたい」という、好奇心にも似た想いだったという。その想いは、現役最後の集大成となる国スポまでの日々にも、彼を支えてきた。
早朝や深夜にリンクの貸し切りを借りて、ひとりで練習するのは、楽しい部分もありますけど、練習からそれなりに自分を律する精神力が必要になってくる。早朝だと朝6時から練習して、家に帰って子どもたちを起こして、朝ごはんを作って学校に送っていったり。深夜だと0時とかからで、それなりにしんどい。
「早く苦しい練習から解放されたいという気持ちが強いです」と笑ってみせた織田。「楽しくやらせてもらっていた」というが、何ごともさりげなく笑いに変える彼のこと、その辛さは言葉以上のものがあったに違いない。努力の上に成り立つ彼のチャレンジは多くの人の心を打ち、街を歩いていても「見ました」と応援の声をかける人々もいたという。国スポの会場でも、無観客ながら、大阪のチームメートをはじめ、親子ほども年齢差のあるジュニア選手たち、各都道府県のスケート関係者まで、リンクサイドで一緒に声援を送る姿が見られた。なかでもいちばんの応援団だったのは、甥の織田信義選手だろう。少年の部に大阪代表として出場していた信義は、叔父にあたる織田の演技に、リンクサイドで最初から最後まで声援を送っていた。
笑顔が素晴らしかった。SPではどの選手よりものびのびと自由に滑っていると思いました。前の現役時代については話で聞くくらいだったんですけど、現役復帰してから演技をのびのびしているのを見て、こんなに輝いているスケーターなんだということを本当に体験できて、素晴らしい思い出になりました。ぼくも、基礎作りからがんばって、氷上で何にも縛られない表現ができるスケーターになりたい。
織田信義
そう話した信義。SPの応援では「マツケンサンバ」の金色の応援棒を両手で振りながら全力応援。フリーでもかけ声で後押しし、一緒に座ったキス&クライでは涙の織田につられて涙、涙。少年男子の試合前には、織田が「いつも通りね」と声をかけるなど、叔父と甥のほほえましいやりとりは大会のハイライトのひとつになった。それにしても、少年の部と成年の部の違いこそあれ、同じ大会に出場するフィギュアスケート選手の間柄を示す単語として、「叔父と甥」と記すことは今後もそうそうないだろう。
ほかにも、織田について語る選手たちは多かった。織田の復帰後最初の大舞台となった2023年大会から大阪の代表としてチームを組み、前回大会では優勝、今大会でもチームとして3位に入った友野一希はこんなふうに話していた。
織田くんは身体もキレキレだし、尊敬の気持ちでいっぱいです。年齢差はありますが、自分がここ数年関わらせていただくようになってからは、気さくに話してくれたり、ジャンプやトレーニングに関してもたくさんアドバイスをもらいました。織田くんが常に進化し続けられることを示してくれた。自分はまだまだ甘かったというか、「なんや、行けるやん」と思いましたし、自分自身、(今後は)最年長ではあるんですけど、見習ってといいますか、さらに超えていけたらなと思います。
友野一希
全日本のときには、三浦佳生選手から、「37歳でまだジャンプを跳んでいるのはすごい」と話しかけられ、試合での持っていき方や、ジャンプの心得など、いろいろな話をしたという。「ぼくからしたら佳生くんはぼくよりジャンプも上手だし、すべてを持っている感じがするけれど、このスポーツをやっているとジャンプへの悩みはみんな等しくあって、37でも意地と根性で跳んでいる人間なので、どう跳んでいるのかとすごく聞かれました」。
「年齢」や「できる技術」や「残した成績」よりも、むしろ「笑顔と輝き」や「競技へ向き合う姿勢」、そして「意地と根性」が記憶される選手として、スケート史にユニークな1ページを残すことになった織田信成。スケートへの想いを、本人はこんなふうに語ってくれた。
スケートって、やればやるほど難しいというか、それは引退した後アイスショーでもすごく感じていて、スケートってこうやればもっと簡単にできるんだということを見つけたくて復帰したんですけど、やっぱ最後の最後まで、スケートって難しいなと思う部分もあった。でもだからこそすごく魅力的というか、やめたくないし、離れたくないし、ずっとずっとこれからも好きなスポーツでありたいなと思います。
“4分間”で自分の人生だったり、個性だったり、性格だったり、それを思いっきり表現して、周りの人に大きな感動を与えられるという、それがやっぱりほかのスポーツにはないフィギュアスケートの素晴らしい部分だと思います。ただやっぱり、それを伝えるためには、完璧に、ジャンプも跳ばないといけないし、つねに完璧にできるわけじゃないからこそ、やっぱりできたときの感動とか、自分に対しての感動とか、そういうのが大きいスポーツなのかな。
この大会で現役生活に区切りをつけた織田が、次に目を向けるのはやはり、スケートだ。
次はがんばる選手たちのサポートに回れたらいいなと思います。来シーズンはオリンピックもあるので、それに向けてまた違う形で携われたら。またそちらのほうを応援してもらえたら、ありがたいです。
夢の舞台を目指す選手たちにとって、なんとも心強い後ろ盾になるだろう。だが、サポートのかたわらで、織田自身の挑戦の物語ももしかしたら本当のエピローグはまだもう少し先になるかもしれない。「40歳で4回転を跳びたい」。以前、本誌のインタビューで語っていた夢の挑戦について聞いてみると、冗談めかして、けれど真っすぐなまなざしで、最後のプロットを教えてくれた。
40まであとちょうど2年くらいはあるので、毎日練習していって、ギネスの認定委員の方を呼んで、リンクで跳んで、ギネスに認定してもらおうかなって。(笑)最年長、いちばん年寄りで、空中で4回回った人という認定をして、壮大なイベントをしたいなとは考えています。まあ、跳べてたらですけど。言ったら、(練習も)いま試合に臨む時とそんなに変わらないかも。体重も気をつけていますし、体のキレが落ちないようなトレーニングも積んでいるので、そういうのは引き続きやりつつ、氷の上でもしっかり4回転を練習して、40歳で跳んだぞというのをまた誌面で飾れたらいいなと思います。