2025年3月10日
トップスケーターの“いま”に迫ります

INTERVIEW 友野一希①「自分への理解度が上がった」

spot_img
- AD -

あのときやってよかったと思えるような1年に

―― 改めて振り返ると、12月の全日本選手権で5位に入ったことで、四大陸選手権代表に選出されたわけですが、代表発表があったときはどこで聞きましたか?

「もう普通に帰宅してたんです、家が近かったので。『明日はメダリスト・オン・アイス出演はあるのかな、どっちだろう』と思いながら、家について、車の中で発表を見たんですけど、ほっとして力が抜けた感じでした。結果を見て初めて、ああ自分は気を張ってたんだと気づいた。女子の試合を見て楽しかったので、一気に全日本が一段落した感じがあって。でも、まあ不思議な気持ちではありましたね、去年に比べたら順位も上がっているし、この先に四大陸選手権という試合もあるとは思ったんですけど、全日本はやっぱりやりきれなかった部分があるので、結構いろんな感情が。よかったー、もう頑張ろう! という気持ちでしたね」

―― 昨シーズン、ISU選手権への選出がなかったというのはご自身としても落胆した部分があったと思うのですが、その怖さがよぎるというようなことはありましたか。

「いや、でもぼくの経験上、全日本5位は選出されないことがなくて。5位と6位の壁っていうのはあるんですけど、これまでの選考と同じ感じなのであれば、まあまあいけるかなと思っていました。もちろんグランプリはみんながぼくより成績を残していたり、選考基準も少し変わっていったというのもあったので、どうかなというのはあったんですけど。でも本当に、あのときはほっとしました」

―― 日本スケート連盟強化部は、全日本の前から、2年かけてオリンピック代表の候補を絞り込んでいくと明言していました。今回の選出で、オリンピック選考のテーブルに載っている選手であることがいっそう明確になったと言えると思うのですが、そういうお立場になってみて、これからの1年の見え方はどうですか。

「いままででいちばんオリンピックに向けての可能性がある立場になったと思う。これまでもオリンピックに向けて頑張るぞと思っていましたけど、結構、チャンスがあればみたいな感じでした。でも今回はガチ中のガチ。もちろんチャンスがなければ続けていないので、それを望めるということがすごく幸せですし、人生でもかけがえのない、あのときやってよかったと思えるような1年にしたいと思っています。誰がオリンピックに向けていちばん強い気持ちでやったかどうかだと思うし、年齢関係なく、大逆転できたらうれしいなと思います」

―― 全日本の開会式で織田信成さんが「年齢や環境に甘えず」と宣誓したとき、笑ってうなずいていましたよね。

「まあでも、ぼくの年齢とかでも、羽生くんとか昌磨くんとかがバンバン活躍していたので、全然それは問題ないかなというふうに思っていますし、まだ成長できているという実感があるから続けている。本当に、最後、自分を、この友野一希というスケーターを完成させることができたらいいなと思います」

何かを変えていこう――トップに行くための選択

―― 今シーズンは友野一希というスケーターを完成させていくプロセスにあたる期間だったと思うのですが、ここまでをもう一度振り返っていただけますか。

「今年は何かを変えよう、変えていこうというための第一歩でした。振付師を思いきって新しい方にお願いしたり、トップに行くための選択をしようと自分のなかで思っていた。ちょっとかみ合っていなかった部分もあったりしましたけど、“もう一歩この先に行く”と考えたときに、すごく重要なシーズンだったと思います。ローリーもシェイも(フリー振付のローリー・ニコル、SP振付のシェイリーン・ボーン・トゥロック)、いままで本当にたくさんのトップ選手に振付をしてきた方たちで、それを自分も肌で実感できるようになった。実際に振付を受けて、それを理解できるようになった自分もうれしかったです。たぶんもっと若かったらすごさもわかってなかったと思うし、振付に対する妥協のなさ、突き詰めていくことのレベルの高さを、振付を通して実感することができたのが、自分のなかで刺激になりました。スケートに対する理解度がさらに深まった年だったんじゃないかなと思います」

―― 振付と向き合うという貴重な体験をしつつも、怪我もありましたし、試合になると試合ならではのアップダウンもあったと思います。1つ1つの試合の感触というのはどういう感じでしたか。

「試合前の臨み方もそうだし、たとえコンディションが悪くても、その日の調子が悪くても、すごく落ち着いて試合にペースを持っていくというやり方ができるようになった。とくに怪我をしたなかで、ジャンプの練習もできないまま臨んだフランス・グランプリでも、4回転以外はしっかりと持っていけるようになったのは、よかったなと思います。本当に落ち着いて、試合に対して自信をもって行けるようになったし、恐怖心があんまりなくなってきたのがすごくよかった。試合っていうより、その過程を大切にするようになったんだと思います。本当に、驚くほど冷静に臨めるようになった。練習の成果が、ちゃんとそのまま出るようになってきた感じでした」

―― 数シーズン前の全日本などと比べると、かなり違う試合に対するスタンスですね。

「なので逆を言えば、悪い練習をしていれば、それが素直に出てしまう。今年の全日本の試合内容を見ると、不安だった4回転がSPでは入って、フリーでは入らなかった。練習でも結構(着氷の確率が)フィフティ・フィフティという感じだったんですよ。あと1週間あれば完全に上げていけるんだけど、ギリギリ試合にもっていけるかな、不安だな、という状態での試合で、それがもうちゃんと出てしまった。何が悔しかったって、いまできる全力を出したとはいえ、これだけやりきれなかったフリーを滑ったのが結構久しぶりだったこと。全日本のフリーは、いつもなんだかんだで“よかったね”で終わっていたので、ちょっと間に合わなかった。去年まではグランプリの練習の貯金を使って全日本に上げていく形だったので、最後の1週間、いままで不安なく練習できていたことはよかったんだなという思いと、怪我したなかでも調整力を上げていかなくてはという思いと……アドレナリンと集中力というより、めちゃめちゃ現実的な全日本だったなと思います」

―― ご自分が見えてきたというか、選手として、人としての深まりなのかなと感じます。

自分への理解度は本当に上がったと思います。いいところも、悪いところも、自分がどういう可能性をもっているのかも、すごく見えるようになった。それを生かすもなくすも自分なので。シニアの最初の4年は、わざわざ自分のよさを削りながらやっていた時もあった。そこからまた自分のよさに気づいて、前の北京のオリンピックシーズンにはすごく飛躍できていた。このミラノへの4年間も、よさは生かしつつ、また違った新しいことを取り込んでいくということで、すごく成長できていると思う。オリンピックシーズンって、いつも調子が上がっていっているし、悪いシーズンがいままでなかったんですよ。だからそこだけは自信があるし、もうちょっと全体に早めて全日本に持っていけたらいいなと思います。今回の全日本が今シーズンでよかったし、この悔しさが絶対次につながるとポジティブに捉えながらできると思っています」

プロフィール
友野一希(ともの・かずき) 1998年5月15日、大阪・堺生まれ。第一住建グループ所属。幼いころから個性あふれる滑りで頭角を現し、2016年全日本ジュニア選手権優勝。シニアに転じてからはISU選手権やグランプリシリーズをはじめ国内外の大会で存在感を発揮し、四大陸選手権では2022年銀メダル。世界選手権では2018年5位、2022年6位、2023年6位。その競技力と勝負強さ、氷上での圧倒的なパフォーマンスで、「なにわのエンターテイナー」「代打の神様」などの二つ名も知られる。今シーズンは新たにSPでシェイリーン・ボーン・トゥロック、フリーでローリー・ニコルの振付に挑み、新境地を開拓中。同志社大学スポーツ健康科学部卒業。
spot_img
- AD -

 関連バックナンバー

ワールド・フィギュアスケート No.102

浅田真央MAO RINKオープンにあたっての単独イ...

フィギュアスケート選手名鑑2024-2025シーズンガイド

総勢177人(組)の国内外のフィギュアスケーターを...

関連記事

- AD -
spot_img

最新記事

error: