年末の全日本選手権で5位となり、四大陸選手権に出場を果たした友野一希選手(第一住建グループ)。新たにローリー・ニコル、シェイリーン・ボーン・トゥロック振付のプログラムを手にして臨んだ今シーズンは、グランプリシリーズの前に怪我があり、序盤は回復を見据えながらの慎重な戦いとなりました。そのなかでも、クレバーで冷静な戦略をもって、試合と復調を両立させ、地元・大阪開催の全日本選手権へ。それぞれの選手が課題を抱え、“荒れた試合”になった男子シングルを戦い抜き、昨シーズンは得られなかったISU選手権代表の名簿に自らの名を連ねました。四大陸選手権においても、自身と向き合う貴重な機会を経験した友野選手。どんな想いでシーズンに臨み、何を得てきたのか。オリンピックへと目を向ける友野選手の“いま”を伺いました。1月と2月に伺った内容を前後編でお届けするロングインタビューの第1回です。
四大陸選手権を終えて
―― 四大陸選手権を終えて、今どんな感想ですか。
「流行りの腹痛で、試合が終わった後、地獄で。今シーズンのすごい締めが待っていました。最後の最後までしんどいんやと思って。試合は大丈夫で、ただ、今思えば、ちょっといつもの感覚じゃなくて、初めての感覚で試合出るなという感じはあったんです。緊張感はあるし、調子もいいけど、なんか全開じゃないんだよ、初めてだなと思いながら試合に出ていた。終わった後に(症状が)全部来て、部屋で本当にしんどかったです。お腹系(の病気)が初めてだったので」
―― 今シーズンはショート、フリーともに新しいチャレンジのシーズンでした。
「今シーズンは、何から何まで新しいことに挑戦できて、だからこその失敗だったと思うし、フリーはとくにすごく難しいプログラムだったので、1年間やりきれたことが経験になりました。オリンピックまでに、自分がいままで経験できてこなかった苦しみや難しさ、怪我のなかでの調整、全部を体験できたので、そこは逆に幸運といいますか。正直、自分が心配していた部分ではあって、『シーズン中に怪我をしたことないよな、そういうのがオリンピックシーズンに来たらどうしよう』という怖さがあったんですが、今シーズン全部経験できた。スケート力を上げるための振付にも取り組めて、学びの多いシーズンでした。学ばなければならない最後のピースだった。ここまで苦しんだシーズンって経験がなかったので、シニアに上がって一番低い点数を出したりとかもありましたし、それができてよかったです。来シーズン、去年があったから一皮むけられてよかったなと思えるようなシーズンに、今日から切り替えていけたらいいなと思います。きつい1年でしたけど」
―― 来シーズンはどんな勝負の年になりそうでしょうか。
「勝負の年というか、たぶん人生でいちばん濃い時間になることは間違いない。自分としても来シーズン、自分がどういうふうに変わっていけるのかがすごい楽しみ。ぼくのスケート人生はミラノから始まったというくらいターニングポイントだったのがミラノ世界選手権(2018年)なので、またオリンピックでミラノに戻っていけたらいいなと思う。自分のなかで、行けたらドラマがあるなという感じがするので、そういう気持ちをもちながら、そのまま突き進んでいけたらと思っています。オリンピックまで、やるしかないので、本当にやるだけのシーズンにできたら」
―― オリンピックの代表争いは次で3回目だと思うのですが、いまどういう戦いだと捉えていますか?
「いつだってそうですけど、たぶんみんなに可能性がある状態。最後にオリンピックに行くときは、本当にそれに懸ける思いが強い人が行っている印象がやっぱり強い。町田(樹)くんを目の前で見ながら練習していたし、(田中)刑事くんが行ったところも見ているので、そのときの目というか、顔つきが忘れられないくらいです。(鍵山)優真くんや、かおちゃん(坂本花織)もそうですが、オリンピックシーズンにちゃんと代表を勝ち取る人って、顔つきにそういうのが出るのか、全然違うと思います。自分も、そういう自分が見れたらいいなと。つかみ取っているときには、自分が何かしら変わっている部分があると思うので、ぼくが見てきたような、今までと違う顔つきになっていたらいいな、そういう自分を見てみたいなと思います。みんな人生懸けてやってくると思うので、すごいヒリヒリした1年になるんじゃないかな。そういう土俵に立てているのはすごく幸せだと思って、つかんでいけたらなと思います」