10月、東日本選手権
東日本選手権は、夢舞台である全日本選手権の出場者が決まる大会だ。また、ジュニアカテゴリーは、全日本ジュニア選手権の予選会でもある。10月24~27日にテクノルアイスパーク八戸(青森県八戸市)で行われた東日本選手権には、全日本ジュニアへの出場を目指して、大島の弟である高校1年生の佑翼も参戦していた。
大会1日目、20時15分よりシニア男子のショートプログラムの競技が開始。大島の滑走順は18番で、演技したのは22時を過ぎた頃だった。東京ブロックのときよりも緊張した面持ちで滑り出す。最初のトリプルアクセルは大きなジャンプ、続くコンビネーションジャンプは1本目も2本目も回り込むような着氷。ミスをしても、気持ちを切り替えるように目線を上げる。転調のところではニヤリと笑みを浮かべてキザに手を叩き、曲の勢いに身を任せて流れのある3フリップを着氷。その瞬間、観客席からチームメイトの歓声が上がった。しかし、最後のエレメンツであるステップでしりもちを突くアクシデントが。演技が終わると、自分のおでこをペチンと叩いておどけた。キス&クライでは、赤いダウンコートを着た父の淳コーチと並んで座り、今シーズン製作した赤のバナータオルをお披露目。「KOSHO」の文字と共に愛犬のビションフリーゼ、ロイとティナのイラストが描かれたタオルを顔の上に乗せ、「恥ずかしいよー」とうなだれた。結果は、悔しさとは裏腹に68.47点で1位。
他の細かいミスがぶっとぶぐらい、最後に盛大にこけたのが恥ずかしいなっていう、そんな演技でした。東京ブロックの自分を超える演技をずっと目標にしてきたので悔しい思いも残りました。
そして、東京選手権ではぐらかした今後の展望も明かした。
今シーズン、絶対に全日本選手権で12番以内に入って、強化選手を目指してがんばるというのがいちばんの目標です。
高校3年生から大学1年生のときに初めて強化選手に入れてもらえて、そこから本当に刺激的な日々を送らせていただいていました。でもここ2年、自分のレベルが落ちて選ばれなくなったというのは本当に悔しいですし、やっぱりスポーツマンとして本当に負けたくないという思いが強いです。
強く静かな闘志が、瞳に宿っていた。
2日目はジュニア男子のショートプログラムから始まり、弟の佑翼は15位につけた。(フリー終了後の総合順位は16位)演技後のインタビューでは、笑顔で兄への憧れを語る。
フリップ、ルッツはお兄ちゃんの大島光翔にずっと習っています。教えるときはちゃんと真面目に教えてくれて、遊ぶときは遊ぶの切り替えがすごい人だと思います。
シニア男子のフリーは大会2日目の最後。客席には精一杯の声援を送る佑翼の姿もあった。大島がいつも仲間にかける独特の「がーんば!」の声援を一身に受けて、大島はふうっと深く息を吐き、足元を見つめてポーズをとる。音が鳴り、滑り出すと、大島のスケートと優しい旋律が溶けあい、会場の空気は一瞬にして「Desperado」の色になった。ミスの気配など少しもなく、四肢の動きも表情も、一瞬たりとも曲の世界から外れることのない、フィギュアスケートの芸術性を凝縮したような演技。音がやむと、大島は静かに喜びを噛みしめた。
リンクサイドに上がると、「Desperado」を滑るきっかけになった父の淳コーチと熱くハグ。フリーのスコアは142.22点、合計210.69点で2位に30点以上の大差をつけて優勝した。
最後まで集中力を切らさずにノーミスできましたし、本当にいい結果だったと思います。正直、優勝しなければならない大会で、ここを全日本の舞台だと思い込んで今日臨みました。今日のところは100点と言っていいと思います。全日本ではショート、フリーともに今回以上のクオリティを発揮しなければならないと思います。どれだけ空気を自分のものにできるかという勝負だと思うので、あとは本番に向けて追い込んでいくだけです。
表彰台の真ん中で終えた東日本選手権。スケーター仲間からも、スケートファンからも、”スタァ”と自然発生的に呼ばれるようになったことからもわかる通り、観客の心をつかむスター性は唯一無二のものがある。東日本選手権のフリーは「大島光翔」という存在そのものを体現していた。
そして、12月。強化選手の席を取り戻すことを誓って挑む全日本選手権での戦いが、間もなく始まる。