2026年1月27日
オリンピックに向けて南船橋のホームリンクで練習を公開

中井亜美、母の教え「絶対諦めない」を胸に初めてのオリンピックへ

- AD -

中井亜美「メダルがほしい気持ちがいちばん」

ホームリンクに飾られた自身のパネルの前、オリンピックのジャパンジャージ姿で ©World Figure Skating/Shinshokan

―― 年が明けて、オリンピックイヤーになりました。
中井 2026年になって、やっとオリンピックシーズンが始まるなって。緊張感もあるんですけど、わくわくのほうがいまはすごく大きいので、その気持ちのまましっかりとオリンピックに向けて頑張れたらいいなと思います。

―― オリンピックの代表となって、ご家族からはどんな言葉をもらいましたか。
中井 自分の夢舞台だったのは、お母さん、お父さんも知っていたことだったので、全日本が終わって、代表発表で選ばれたときにはメッセージをたくさん送ってくれて。とくにお父さんは、夢が叶ってよかったね、本当におめでとうと言ってくれました。

―― 憧れの浅田真央さんとついに同じ舞台に立つというところで、中井選手自身は未来のスケーターたちにどんな滑りを見せたいですか。
中井 自分がテレビで浅田さんの演技を見て(スケートを)始めたいと思ったのは、大舞台ですごく輝いている姿を観たので。自分もオリンピックで最高に輝いている姿をみなさんに見てもらって、少しでも始めてみたいなと思っていただけるような演技をしたいと思います。

―― 全日本選手権で、オリンピックの夢と、浅田真央選手に会う夢を叶えたと思いますが、次の夢とは?
中井 2つの夢が叶って嬉しい気持ちでいっぱいなんですけど、また新しくオリンピックでいい結果を残すというのが、自分にとっていまはいちばんの目標。あと少ししかないんですけど、しっかりと準備をして、メダルをとれるような練習をしていって、本番で良い演技がしたいです。

―― 小学生のときからトリプルアクセルの練習をしていたと思いますが、練習をし始めたころのことはどんな記憶として残っていますか。
中井 練習をし始めたのは、小学校5年生の終わりぐらいからなんですけど、やっぱり自分が憧れていた浅田真央さんがトリプルアクセルを跳び続けていた姿を小さいころから見ていたので、自分も憧れの選手と同じジャンプを跳びたいと思いました。早く跳びたくて、なるべく小学校のうちから跳べるようになりたいなと思って始めました。

―― 小さいころに、ノートに「絶対に諦めない」という言葉を書いていらしたのが印象的でした。
中井 いまでも諦めないというのは絶対に大切にしていることで、どうしても練習でトリプルアクセルが上手くいかない日があっても、何度も挑戦することも大事にしています。諦めてしまったらそこで終わってしまうと思っているので。小さいころからずっと続けていることなので、それは今後も大切なことになると思いますし、しっかりとその気持ちを忘れずにやっていきたいなと思っています。

―― 最初にトリプルアクセルを跳べたときのことは覚えていますか。
中井 新潟にいた小6のころで、MFアカデミーに行くと決めて、最後に出場した新潟の大会の6分間練習でたまたま1本降りられて、本当に跳べたか分からないぐらいふわふわした感覚で着氷したのが初めてのときです。

―― オリンピックで成績を残すことが目標というのは?
中井 メダルが欲しい気持ちがやっぱりいちばんなんですけど、それ以前にまだショートでノーミスできてもフリーがノーミスできていないので、しっかりとフリーもショートもノーミスすることがいちばんいいのかなと思っています。

―― 「オリンピックに出たい」というところから、「オリンピックで戦いたい」と思うようになったのは?
中井 正直、全日本が終わるまでは、全日本で崩れてしまったらオリンピックももちろんなくなってしまうので、全日本前まではそういう気持ちを持っていなくて、やっぱり全日本が終わって、代表会見のときにオリンピックでしっかりと戦いたいという気持ちに変わりました。

©World Figure Skating/Shinshokan
– AD –

―― トリプルアクセルは最初自分で跳びたいと先生に言ったんですか。
中井 5種類のトリプルが跳べるようになって、だいぶジャンプも安定してきて、自分からやってみようかなと思って先生に伝えて、じゃあやってみようかみたいな感じで始めました。

―― けっこう転ばれていたというお話もありましたが、それでもくじけずに?
中井 そうですね。もうずっとアクセルが跳べるようになりたかったのでずっと練習して。膝から落ちるみたいな感じのトリプルアクセルを最初はやっていたので、大変だったんですけど、やっぱりどうしても跳びたかったので諦めずに頑張った感じです。

―― 「絶対諦めない」とノートに書いていたのは、何に対してですか。
中井 試合の途中でもそうで、絶対失敗するときだってありますし、何回転んでも最後まで諦めないというのは小さいころからやってきて。ジャンプがすべてではないので、スピンで加点をどれだけとるかも、ジャンプを失敗したあとでもとれる点数なので、そこは諦めないようにしていました。

―― どなたかに教わった言葉だったんですか。
中井 これはお母さんから言われていて、最後まで諦めないように頑張りなさいと小さいころから言われてました。

―― 逆に、いままで諦めそうになったことはありましたか。
中井 やっぱり腰をケガしていたときの全日本ジュニア(2023年)のフリー。ショートもそうだったんですけども、ショートが終わって、すごく順位が下のほうだったので、本当に諦めそうになりました。フリーも滑りたくないというか、できないんじゃないかという気持ちもあったんですけど、全日本に行けなくても最後まで頑張ろうという気持ちで挑みました。

―― そのシーズンは非常につらかったと思いますが、そのなかでも諦めなかったいちばんの原動力とは。
中井 やっぱりオリンピックに行きたいという気持ちももちろんありましたし、ここで終わっちゃいけないなという気持ちも少しずつ芽生えてきていた。ここで諦めたら終わりだという気持ちが出てきたので、それが自分にとっていまこうやって輝けていることかなと思います。

―― 練習で打ち身ができたりしたときには、ご家族も心配していたのでは?
中井 そうですね、小っちゃいころは心配されていました。転んで泣くタイプだったので、心配されていたんですけど、何年か経って慣れてきたらもう「頑張りなさい」しか言われなかったですね。

―― 毎日泣きながら練習を?
中井 小さいころから泣き虫だったので、練習でうまくいかなかったらすぐ泣いていました。試合で負けたらすぐ泣くみたいな感じだったので、けっこう泣き虫でした。

―― 最近はもう全然泣かない?
中井 練習で本当に調子が悪すぎて、あとは試合前でプレッシャーに潰されそうになったときはちょっと泣くことも多いんですけど、最近はメンタルも安定してきて自分自身のコントロールもできるようになっているので、そこはだいぶ成長したところかなと思います。

>>次ページ:中庭健介コーチコメント「岡田阪神流の”ARE”イメージで指導」

- AD -

 関連バックナンバー

ワールド・フィギュアスケート No.104

フランス・グランプリ、カップ・オブ・チャイナ、スケ...

関連記事

- AD -
spot_img

最新記事

最新刊

error: