メンテナンスのための休養期間を経て、このたび再始動となる「notte stellata」への出演を発表した羽生結弦さん。今年は、2015年12月にスペイン・バルセロナで開催されたグランプリファイナル2015で、羽生結弦選手が世界最高得点を樹立して優勝を成し遂げたという業績から、10年を迎えました。
オリンピック2連覇と並び、グランプリファイナル2015で出した330.43という得点は、ヒストリック・レコードとしていまも不朽の金字塔です。フィギュアスケートの<それ以前>と<それ以後>を分ける分水嶺ともなった歴史的瞬間の輝きは、決して色褪せることがありません。現在に至るまで、多くのフィギュアスケート関係者が「あの場に立ち会うことができたのは僥倖だった」と振り返る偉大な日から10年という節目の年を迎えたことを機に、「ワールド・フィギュアスケート」72号で掲載した、羽生結弦選手の2015年NHK杯からグランプリファイナルへの2週間の軌跡を追ったレポートを再掲します。
羽生結弦――絶対王者の証明――
グランプリファイナルに出場した選手たち、会場に集ったコリオグラファーやコーチたち、試合を終えたジュニアたちが連れ立って、続々と観客席の階段を上がっていく。選手席はとうに満席、メディア用の席や階段までもいっぱいになる。
フィギュアスケート界では稀にこういうことがある。何かが起きるという予感をみなが共有し、それを見届けようと鈴なりになってリンクを見つめるのだ。その中心に在るのは――羽生結弦、フリー「SEIMEI」。予感は観客の間にもさざ波のように広がり、直前にフェルナンデスが見せた名演の余韻でお祭り騒ぎのような喧騒に包まれていたリンクが、次第に静まっていく。羽生の名がコールされて30秒足らず、ついに、会場は水を打ったように静まり返った。そこへ、鼓と笛の響き。歴史に刻印される4分30秒の始まりだった。
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10月末のスケートカナダからおよそ1ヵ月。NHK杯を前に、羽生は「SPに4回転を2本入れる」ことを宣言した。ブライアン・オーサーコーチには「もう4回転を2本入れるのか」と驚かれたという。「SPの後半に4回転を入れる構成は、もともと将来的に2本取り込むための練習期間という意味を込めていたんです。2本入れることは、スケートカナダからトロントに帰る前までに決めていた。もっと挑戦していきたいという気持ちが強くありました」。スケートカナダの後は、トロントで徹底した練習を積んできた。「課題を克服するための練習をしてきたつもりです。その成果がNHK杯で出せればいい」。
羽生が心に決めていた構成のグレードアップは、フリーにも及んでいた。前半に4サルコウ、4トウ、そして後半に4トウ+3トウのコンビネーション。いまできる最高難度の構成となる、計5本の4回転を含むSPとフリーヘの挑戦。
この期間に、2つの大きな出来事があった。スケートカナダで、優勝のパトリック・チャンにフリーのテクニカルスコアで後れを取ったこと。「悔しい。こんなので、負けたくない」と闘志を燃やした。そして中国のジン・ボーヤンが4ルッツ+3トウを着氷したニュース。羽生が導き出した公式は、自らがもつ技術と表現の極限までを出し切るプログラムを滑り、さらに限界を押し広げていくことだった。
11月27日、NHK杯SP。最終滑走の羽生が「ショパン バラード第1番」を滑り始めた。冒頭の4サルコウでわずかに軸がぶれると、着氷時にイーグルの体勢にして耐え、4トウ+3トウを完璧な出来で降りる。後半にも美しい3アクセル。それぞれのジャンプのエントリーと着氷を磨き上げ、要素のあいだを複雑でしなやかなトランジションで結んで、ステップでレベル4、スピンも3つともレベル4。まさにパーフェクト、ノーミスの演技だった。106.33、自身のもつSPの世界最高記録を塗り替え、ほころぶような笑みを見せた。
「失敗を恐れながら滑るのではなく、久しぶりにワクワクしながら滑ることができました。このプログラムで1回もノーミスをしたことがなかったので、よかったなと思います。今の自分ができるSPの最高難度のものができた」
このとき、彼は注目すべきもうひとつの発言をしている。
「このピアノの旋律とともに滑ることがやっとできた。自分の心から演技できたので、そういう意味ではすごく楽しいプログラムだなと思っています」
2年目を迎える「ショパン バラード第1番」。今シーズンが始まる前は、ピアノ曲は表現するのが難しいと感じ、試行錯誤を重ねていた。それが、技術面を最高難度まで引き上げたことによって、音楽の曲想をつかんだという手ごたえを得て、表現面も新たな地平ヘと進化したことになる。羽生の音楽性、芸術性は、アスリートとしての彼が誇る最高のテクニックと不可分一体のものであることがうかがい知れる。
11月28日、NHK杯フリー「SEIMEI」。最初に軽々とした4サルコウを決め、続いて4トウを着氷。後半に入って4トウ+3トウを目を見張るような精度で降りる。3アクセルに両腕を上げる2トウをつけ、3アクセル+1ループ+3サルコウ。あまりに容易そうに、ひと連なりの流れのなかでジャンプを跳び、ステップを踏んでいく羽生は、最後のジャンプである3ルッツを成功させ、心の昂ぶりがあふれるように両の拳を握りしめた。あとはもう羽生結弦絵巻を氷上に描き出すだけだ。ハイドロ、イナバウアー、最後のスピン。SPに続いて、完璧な内容でフリーを滑り終えると、満面に笑みを浮かべ、片手を遠くに投げ出すようなガッツポーズ。SP、フリー、ともにノーミス。国際大会では初めて経験する達成感に、喜びを爆発させた。フリー216.07、総合322.40。史上初めて300点を超え、世界最高記録をマークする偉業だ。
演技前、緊張や気負いを振り払うために、「自分自身にプレッシャーをかけて、絶対王者だぞと言い聞かせた」と話す。「試合に入る前、300点を取りたい、フリーで200点を取りたい、そういう気持ちも少なからずありました。ただそこに自分でちゃんと気づくことができた。緊張しているんだと自分で認めてあげられた。ソチ・オリンピックのフリーで演技が終わってから『金メダルを意識して緊張していたんだな』と気づいた。その経験が、今回に生きました。いままでのたくさんの経験があったからこそだと思う。本当に、無駄じゃなかった」。
トロントでおもにスケーティングについて羽生を指導しているトレイシー・ウィルソンコーチは、こう語る。「彼は厳しい練習に耐え、氷上で次のレベルへと踏み出しました。やろうと思ってできるわけではなく、ユヅルは鍛錬した者だけがあるとき進むことができる場所、いわゆるゾーンに入った。すべてのアスリートが憧れてやまない瞬間が、故郷の日本で訪れたことを彼のために喜びたいです」。羽生自身が“きつい練習“と言い表したトレーニングに、ウィルソンは日々寄り添った。「ジャンプを練習するとき、試合で実施したい通りに、前後のすべてを正確に、高い質をもって滑れていなくてはなりません。試合で急に成功させることは不可能です。疲れ果てていても、筋肉が自動的に動くレベルにまで体に覚えさせなくては。そういう厳しい練習は、決して裏切りません」。また、ジンの存在も刺激になっていたはずだと指摘する。「ユヅルはボーヤンの4ルッツについて口に出したことはありません。でも、彼は競技者です。競技者の精神がどのように働くか、自明のことですよね」
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