羽生結弦「自分が生きていることの意味を問われているような気がした」
―― 3回目の「notte stellata」ですが、初日を終えていかがですか。
羽生 とにかく本当に、今日が千秋楽なのかなというくらい、全気力と体力を使い果たしました。それくらい一瞬も気持ちを切らさずに少しでも、この会場で、滑っているメンバーと全員で、3.11やいろんな災害に対してできることを、なにかのきっかけになるようにと願いながら、祈りながら、滑らせていただきました。
―― 野村萬斎さんとの共演はいかがでしたか。
羽生 とにかく緊張がすごかったです。やっぱり「SEIMEI」に関してはとくに、なにか威厳のようなものをつねに背後から感じながら、決してミスをすることができないというプレッシャーとともに、本当にオリンピックかなと思うぐらい緊張しながら滑りました。あとは、「ボレロ」に関しては、ぼくが使ったことのない曲で、フィギュアスケーターとしてはやっぱり伝説のアイスダンスの演技(トービル&ディーン組/1984年サラエボ・オリンピック)があるわけで、振付をしてくださったシェイ(シェイリーン・ボーン・トゥロック)も、すごく難しいとはおっしゃっていたんですけれども、萬斎さんの「ボレロ」として、ぼくらもいろんな振りと所作を入れて、この共演でしかできない「ボレロ」になったんじゃないかなという手ごたえはありました。
―― 萬斎さんとは10年ぶりの再会だったと思いますが、印象に変化はありましたか。
羽生 でも、少しだけ打ち解けてくださった気がします。ぼく自身、やはり約10年前ですかね、とてもとても恐れ多くて、ただひたすら緊張しているだけだったような気もしていましたし、まだ乾いたスポンジみたいな、吸収しようとしてもそんな容量がないので吸収できない、みたいな。本当にただただひたすらアプセットしていただけだったんですけど、今回は自分もいろんな経験を積んできて、やはりプロとしていろんな活動をしてきたからこそ、ある意味でがんばって同じ土俵に立って、同じ目線、または同じ高さの目線からものを言えるように、しっかり気を張って、プロのスケーターとしてぶつかっていけるようにということを心がけながら打ち合わせ等もさせていただきました。もちろん今回、「ボレロ」自体は振付がこっち(会場)に他のスケーターも到着してから振りがだんだんと出来上がっていって、萬斎さんに見ていただいたときにはまだ全然出来上がっていない状態で、萬斎さんも「どうしたらいいかね」みたいな感じになってしまってはいたんですが、この会場で本当に時間をかけて何回も何回も通しているうちに、萬斎さんのほうから合わせてくださることもたくさんあったり、ぼく自身も萬斎さんとどのような所作で合わせにいったらいいのかということをたくさん考えながら出来上がった「ボレロ」だったなと思います。
―― 先ほど、萬斎さんの囲みでも10年ぶりというお話が出ていました。
羽生 生意気になったとおっしゃっていませんでした?(笑)
―― 晴明に関しては忘れていることもあった、と。
羽生 (笑)。でも、やっぱりぼくたちというか、とくにぼく自身のことで言うと、やはりこのプロの世界、表現の世界にしっかり足を踏み入れてからは、本当に若輩者でしかないと思っていて。日本の伝統芸能というものを脈々と引き継がれている方、そしてその芸能のなかでもとくに秀でていらっしゃる方とコラボレーションするということは恐れ多いこと、自分自身がそこに対してふさわしいスケートを、プロとしての芸術を、持ち合わせないといけないなということを、とてもとても強く感じながら、リハーサルからこなしていたので、今日の出来はとりあえず50点ぐらいかなと。本当に緊張しました、はい。(苦笑)
―― 萬斎さんは「成長がうれしい」と。
羽生 いや、ほど遠いので精進いたします……。
―― この会場で、「notte stellata」で、羽生さんを代表する「SEIMEI」で野村萬斎さんと共演することの意味をどうとらえていますか。
羽生 これまで「notte stellata」でコラボさせていただいた方々ももちろんそうなんですが、フィギュアスケートでコラボすることだけを考えるわけじゃなくて、どんな方がコラボレーションとして来てくださったら、ゲストとして来てくださったら、すごく格のある、どなたが見ても素晴らしいと言ってくれるショーになるだろうと考えながら、ゲストのことを企画の方と打ち合わせをしていました。「notte stellata」を立ち上げる当初から、萬斎さんとはいつかコラボレーションしたいということを話していて、その1つであった「ボレロ」というものが、鎮魂と再生の物語であるということも含めて、絶対にやりたいなと思っていた。こうやって現実になってみると、まだまだ夢のようにふわふわした感覚では正直あるのですが、ちょっとでも野村萬斎という存在を受け入れるに値するスケートやショーの構成に近づけたのかなと思えてはいます。手応えとしては、はい。
―― 宮城の被災地、ふるさとで、健康でショーを続けられていることに、どんな思いでいらっしゃいますか。また、改めて被災地への思いを聞かせてください。
羽生 とにかく、もちろんチケットを購入されて、体調を崩して来られなかった方ももしかしたらいるかもしれないですし、新幹線の問題でなかなか難しかった方ももしかしたらいらっしゃるかもしれないし、そもそもグランディという利府の地が交通の便が悪いので、大変だとは思うのですが、そういったなかで、ぼくら以前に来てくださる方々が健康であって、体調悪かったとしてもHulu、配信等でご覧になってくださっている方々がいて、それだけでぼくらは十分幸せだなという気持ちでいっぱいです。
もちろんぼくらも全身のエネルギーがなくなるほど酷使しながら演技させていただいていますし、自分のアイスショーに対しての意気込み、エネルギーの出し切り方みたいなものが、どんどん今回は他のスケーターにも伝播していて、こんなにやり切ってくれるんだというぐらい他のスケーターたちも出し切ってくださって。あの“野村萬斎”を、息が切れるほど走らせる人はたぶんいないと思うので、本当に恐れ多いのですが、でも萬斎さんも全力で「SEIMEI」を演じ切ってくださっていて、なんて言うんですかね。ぼくらはたぶんエネルギー量的には、体力的には全然健康じゃなくなってきているんですけど、でもこれを観に来てくださっている方々が、ああやって立って拍手を送ってくださったり、声援を送ってくださっている姿を見て、この場で生きていらっしゃるんだなということを改めて、この「notte stellata」だからこそ改めて感じられた。ぼくらが震災のときに立ち上がっていけたように、その絆みたいなものがどんどんどんどん広がっていってくれたらうれしいなという気持ちでいます。本当に、ぼく、リハーサルのときに野村萬斎さんが息を切らしていらっしゃって、大変なことをしてしまっているな、と。(苦笑)「SEIMEI」の最後のところ、本当にずっとダッシュしてくださっているんですけど、なかなか、申し訳ないなと思いつつも、それに応えてくださる萬斎さんの器みたいなものに、また改めて尊敬していました。
―― 今回、「SEIMEI」を演じるにあたってこだわった点は? また、代名詞である演目をどのように昇華できたと感じていますか。
羽生 いつもは「SEIMEI」を演じるときはぼく自身が安倍晴明のモチーフになって滑るということが多かったんですが、今回は安倍晴明本体が出てきて、それに使役される従者というか、式神のようなイメージで構成を練って、演出もしていただけました。完璧で不思議な存在である安倍晴明がそこにいるからこそ、式神は式神らしく、完璧ではなく、ある意味、力を与えられし者のような立ち振る舞いをしなくてはならないということをこめて、ずっと力を入れながら。いつもの「SEIMEI」というプログラムで滑っているときよりも、ずっと本当にフルパワーで滑っているような、なにか1つ役割を与えられて、その1つの役割をこなして、また紙の人形に戻って、また呪を唱えられて役割を与えられて、というような物語を2人のなかで想像しながら構成を練ってきました。なかなかいままでの「SEIMEI」の感覚とは違って、役割というか、ちょっとこじつけかもしれないですけど、自分がいまこの「notte stellata」というアイスショーに出演させていただいていることとか、自分が生きていることの役割とはなんぞやということを改めて問われているような気もしました。
司会 時間になりましたので、以上で終わりとさせていただきます。
羽生 すみません、語りが長くて本当に申し訳ないです。ありがとうございました。なんかちょっとNHK杯(2015年男子メダリスト会見)のときにずっとしゃべっていて、終わりですと言われたのを思い出していました。(笑)いつも長々とありがとうございます。またお願いします。失礼します。
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