7月1日、町田樹さんが「みんなのフィギュア作品プロジェクト」(正式名称エチュードプロジェクト)を公開しました。著作権をオープンにしたフィギュアスケートの練習作品を発表するという世界初の試みには、いったいどんな狙いがあるのでしょうか。インタビュー前編では、町田さんにプロジェクトの内容と、そこに込めた願いをお伺いします。実際に滑ってみたいという方に向けては、次回の後編に注意事項が詳しく解説されています。
誰もがいつでもどこでも無許諾で
―― 今回、「みんなのフィギュア作品プロジェクト(エチュードプロジェクト)」をスタートなさいます。このプロジェクトを実現させた経緯を伺えますか?
町田 音楽の分野にはバイエルやツェルニーといった、誰でも演奏できる練習のための音楽がありますね。それを弾くことで、1曲1曲にどんな奏法が学べるのかという明確な目標がある。あらゆる芸術ジャンルに教材的な作品があるのですが、フィギュアスケートにはそういうものがない。じゃあフィギュアスケート界にもバイエルやツェルニー的な作品があってもいいんじゃないかと、誰もがいつでもどこでも無許諾で滑れる作品を全世界に提供しようという趣旨で、このプロジェクトを構想しました。
―― そうした練習のための作品の必要性は、ご自身の選手としての経験から感じてきたものですか?
町田 フィギュアスケートの世界でも、スピンを習得するメソッド、ジャンプを習得するメソッドなどはもう確立されていると思うんですね。先生ごとに理論があり、国によってもスタイルがあって、選手たちは非常に効率よく技術を習得できるようになっている。ただ、その技術をどのように表現に応用できるのか、技術と表現面をどのように融合させていくのかは、まだまだ指導法が確立されていません。今回のエチュードを滑ることで、こういう技術も習得できるし、表現面のトレーニングにも資することができる振付にしています。
スヌーピーのアニメに触発されて
―― 今回、焦点があたっているのはどんな技術ですか。
町田 作品名を《チャーリーに捧ぐ》といいます。技術面の習得ポイントとしては、トウループジャンプをトレーニングするためのプログラムになっています。《チャーリーに捧ぐ》というタイトルは、このプロジェクトのきっかけとなったスヌーピーのアニメの作者であるチャールズ・M・シュルツ氏から来ているのですが、じつは90年代までは、トウループジャンプは「チャーリー」とも呼ばれていたんです。作品名はその2つの意味合いをかけあわせた言葉遊びにもなっています。若い方々は、トウループにチャーリーという俗称があったこともご存知ないと思う。やはりここでも、フィギュアスケート文化を伝承するという要素を入れて、たんなる習作プログラムではなく、フィギュアスケートの文化的背景や歴史も同時に感じていただけたらなという意図もあるわけです。
―― 町田さんが2021年から取り組んできたプロジェクトの一環ということですね。選手のみならず一般の方々にもリーチする、さらに広がりのあるプロジェクトになります。
町田 私を含むAtelier t.e.r.mは、3年前に継承プロジェクトを立ち上げ、まず私が振付けた作品を著作権制度にもとづいて上演権を許諾しました。次にプロフェッショナル・ピース・プロジェクトで、プロならではの作品を振付けて提供することをやった。3年目として実施するのが、このエチュードプロジェクトです。プログラムを滑るだけでなく、動画を見て触発されたり、考えていただいたりしたこともエチュードプロジェクトの一環だと思う。それぞれがつながり合うためにも、発信していただく場合は、ぜひ「#エチュードプロジェクト」とハッシュタグをつけていただけたらと思いますね。
―― 町田さんがスヌーピーからインスピレーションを得たというのは意外だったのですが、これはどうして?
町田 もともとスヌーピーが好きなんですが(笑)、スヌーピーのアニメーションに《She’s a Good Skate, Charlie Brown》という回(1980年初回放送/邦題「スヌーピーのスケートレッスン」)があります。キャラクターのひとりペパーミント・パティがフィギュアスケート選手として演技をするんですが、これが現実のスケーティングに非常に忠実。いまならモーションキャプチャーにあたる、人間の動作をアニメーションに置き換えるロトスコープという当時の技法を用いて、本物のスケーターの氷上での動きをアニメにしたそうです。ぜひご覧になってみていただきたいのですが、昔のスケーターの日常が描かれていて、演技も音楽にのってしっかりと振付けられたプログラムになっている。こんな素敵な作品があるなら、これを下敷きにリアルなフィギュアスケート作品を作ろうという発想が生まれました。
じつは原作者のチャールズ・M・シュルツさんは、スケート文化を愛し、深く理解して、スケーターの日常をうまく作品に落とし込んでいるんですね。彼は自らホッケーチームを率い、ついには私設アイスリンクを建設したほどスケート文化の発展に貢献した方です。そうした歴史も伝承していきたいという思いがあります。
音楽は「私のお父さん」(プッチーニのオペラ『ジャンニ・スキッキ』のアリア)ですが、この曲を今回新たに口笛奏者の青柳
トウループの2つのエントランス
―― 技術論になってきますが、トウループを習得するためにどんな振付の工夫が施されているのでしょうか。
町田 トウループジャンプには2種類のエントランスがあって、1つはモホーク・エントランス。私はモホークタイプのスケーターです。一方スリーターン・エントランスのスケーターには羽生結弦さんがおられますね。このプログラムには両方のエントランスからのトウループが入っています。1作滑ることで、トウループの基本的なエントランス2種類をちゃんと使い分けて、跳び分けることが学べる。さらに、ただ滑って跳ぶのではなく、両方とも音楽にのりながら、そしてステップワークを入れながら、ジャンプを跳ぶ。トウループを包括的に学ぶことができる振付に構成しています。
―― 現行のルールだと、ステップからすぐに跳ぶなど、ジャンプの難しいエントランスは加点対象ですね。どちらのエントランスが適している、といったようなことはあるんですか?
町田 ジャンプのエントランスは最初に先生に教わる方法で覚えることが多いのですが、モホークとスリーターン、それぞれに特徴とメリットがあります。たとえば《チャーリーに捧ぐ》の後半のトウループはイナバウアーからスリーターンで跳んでいる。イナバウアーみたいなステップワークからだと、左足前のイナバウアーから1、2とすぐに跳べるんですね。いっぽう前半のモホークは、私が競技者のころやっていたように、前向きから1、2、3とステップワークのような流れを出すことができる。両方習得しておくと、どんなステップからでもバリエーション豊かに跳んでいくことができるんです。トウループを表現ツールとして使っていくためには、両方習得しておいたほうが得です。羽生さんはバックのカウンターからトリプルアクセルを跳んでいきますが、カウンターから入ってトウループみたいなこともできます。それぞれに接続するステップがあるので、つまりは語彙が増えるということ。みんなが跳べるジャンプをどう差別化していくかといったら、どれだけ豊かに音楽表現に合わせて跳べるか、どれだけユニークなステップからジャンプを跳べるかだと思うんです。いろいろなステップから接続させて跳ぶということを経験していただけたらと思っています。(後編に続く)
次回の後編では、演奏家とのコラボレーションや、エチュードプロジェクトで展開する著作権ルール「クリエイティブ・コモンズ・ライセンス」の考え方について伺います。《チャーリーに捧ぐ》を滑るためには、どんなことに注意しなければならないのでしょうか?